孤独感の時代。

大学生の頃、もしくは東京に出たての頃、なにも予定がない休みの日に夕方近くまでベッドに沈み込んでいると、世界が遠く離れていくような感覚に陥った。クルマに乗っていて事故を起こした時、財布を落とした時、世界が自分と切り離されて遠のいていく感覚がした。僕にとっての孤独感とは今挙げたようなものだ。たまに孤独感を感じることで、普段気付くことのできなかった自分の考えや感情に出会い、人間的に成長することは貴重な経験だと思うが、常にこのような孤独感を抱えていては僕は精神が持たない。僕自身に限らず、人間はもともと孤独感には非常に弱い生き物だと思う。

孤独感との付き合い方は難しい。僕は大学生の頃に好んでよく独りで旅行していたし、孤独感との付き合い方は得意な方なんじゃないかと思っていたが、それでも旅先ではたびたびもう帰りたいという感情が湧き上がってきて、帰国のフライトを早めたりしたこともあった。旅行なんて所詮、帰るところがちゃんとあるなかでの孤独でしかないのだが、そんな孤独感ですら僕は上手く飼い馴らせていなかった。僕は未だに帰るところのない孤独、終わりのない孤独を経験したことがないし、それがどれだけ精神的にダメージを与えるものなのかも想像できない。

孤独感を抱えながら仕事をするのも難しい。自分の周りがみな敵だと思うと非常にパフォーマンスが悪くなる。バックアップしてくれる人がいるから、壁にぶちあたった時に相談できる人がいるから思い切って踏み込むことができる、ということもある。独立して仕事をしている人、経営者としてトップに立っている人にとって、孤独感とうまく折り合い自分のパフォーマンスを落とさない才能は不可欠なのではないかと思う。孤独感に苛まれて冷静な判断や生き方ができなくなっている人のなんと多いこと、そしてそんな孤独感につけこんだビジネスやサービスのなんと多いこと。

たくさんの人に会っていても孤独感を感じることもある。手帳に予定を詰め込んでも孤独感を感じることもある。孤独だから孤独感を感じるというわけではない。孤独感を払拭するために、刹那的な快楽をつなぎあわせて生きるようになると、なかなかそのループから抜け出しにくくなる。

社会の仕組みが変わって、煩わしい血縁や地域のしがらみが消えつつあるが、その代わりに孤独感が幅を利かせるようになった。おそらく、これからの社会の至るところで『孤独感』は存在感を増していくことだろう。もともと孤独感に対して非常に弱い人間が、大きな孤独感と付き合っていかざるをえない時代がやってくる。その時に個々人はどのような方向性を見出すのだろうか?