リア充について。

facebookリア充との親和性が非常に強いSNSである。しかも自分のリア充っぷりを上手く切り取って表現することが可能なSNSである。いいね!ボタンの存在がその性格を象徴している。日本でもfacebookがほぼ浸透して、皆がfacebookとはそういうツールなのだというコンセンサスができてきた。ゆえに、twitterなどの他のSNSとの連携投稿をする人はほとんどいなくなったし、facebookは読むだけ、という人も多くなってきているように思う。しかしながら、頻繁にpostをするユーザー減ってきているもののログインしてニュースフィードを眺めるユーザーはそれほど減っていない。余談だが、それまで頻繁にpostしていた人がぽっきりと近況を報告しなくなったりすると逆になにかあったのではないかと心配になったりもする。これからも当分facebookがオープン型SNSの盟主の座にあり続けることは変わりないだろうが、facebook自体の進化はもう行き着くところまで到達してしまったように思う。

リア充の話に戻る。僕は昔から自分は根っからのリア充ではないということをよく知っている。そして、自分とつきあっている人の多くがリア充でない、というか、根っからリア充な人とは上手くつきあえないということも自覚している。

根っからリア充な人というのはどういうことかと言うと、常にリア充な状態を維持している人のことだ。世の中には常にリア充な人が一定数おられる。さらに具体的に言うと、誰かと会っている時のみならず、1人でいる時にもテンションの高さを貫けるということだ。彼ら彼女らはリア充のスタミナが高いのだろうか、それとも精神力のゲージが常に高いところにあるのだろうか。皮肉を言うつもりは全く泣くて、純粋に尊敬してしまう。だからか、そういう人とつきあうとなぜか自分が引き気味になってしまって、上手くふるまうことができない。

根っからのリア充でない人も、リア充っぽくふるまうことはできる。しかしながら、根っからのリア充でない人は、どこかでリア充の仮面を外してしまうのである。リア充のスタミナもないので、無理してリア充な状態を続けると人間が壊れてくる。個人的には、リア充のスタミナとは大人になってから訓練によって増やせるものではなく、ある程度の年齢までに身に付けなければ増やせないもの、もしくは先天的に量が決まっているのではないかと思う。

僕は、リア充のスタミナがあまりない人が、大勢が集う場所でリア充としてふるまっている姿に親近感を覚える。僕自身がそのようにふるまっているからだ。非リア充は1対1のコミュニケーションは普通にこなせるのだが、1対多のコミュニケーションが非常に苦手だ。仮初めのリア充として大勢の前でふるまう姿には人間臭さがあふれている。facebookにもそんな雰囲気が感じられて、だから僕はfacebookが結構好きだったりする。