梅雨の季節だが、東京はあまり雨が降っていない。しかしながらここ1週間くらいでどんどん空気に湿度が増してきて、蒸し暑さだけは感じるようになってきた。人間にとっては暮らしにくいが、植物にとっては気持ちいい空気なのではないだろうか。きょうは名古屋に行ってきた。
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仕事をしていくうえで、商道徳はやはり必要なものなのだろうか、ということを考えている。野村證券のインサイダー事件やバークレイズのLIBOR不正操作については弁解の余地はないが、そこまではいかなくとも、金融業界のなかの一部では、自分さえ儲かれば顧客はどうなっても構わない、という考えが無くならない。(興味深いことに、顧客と自分たちが同じ地域社会を構成する運命共同体の状態になっている地方金融機関でこういう考えをする人はほとんど見かけない、ということを付け加えておく)
金融業界の人たちは特に、おカネが好きで、自分が儲けることが好きで、自分が儲かるためにはどうするべきか、という思考軸に基づいて行動を選択してしまいがちだと思う。それはけして間違っていることではなし、他業界では取れないようなリスクを請け負うことによるリターンを享受できることについて異論はないけれど、結果として顧客や他者を欺いてしまうような行為を重ねてまで手にする報酬に、虚しさを感じるのは僕だけではないと思う。
金融業界に限らず、なにかものごとを興す動機に『儲けたい』という要素はあって然るべきだけれども、100%その欲求だけで最後まで成功し続けた経営者や企業というものを、僕は見たことがない。必ずどこかでつまづき、失墜しているように思う。商道徳というか、自分たちが社会に対して金銭的価値以外になにを提供しているか意識することは、やはり必要なのではないかと僕は思ってしまうのだが、どこかに反例はないものかと、一方で思ってもいる。社会的な大義に欠けた成功を勝ち取った者がいるのならば、会って話を聞いてみたいと思う。
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話は逸れるが、大きな社会の流れとして、貨幣の価値が少しずつ減ってきていることも感じる。今の僕たちの世代は、親の世代ほどにおカネを稼ぐことができないけど、同じおカネで達成できる生活の質ははるかに高まっている。加えて、貨幣を持っていること(もしくは、貨幣で買える家や車を持っていること)の魅力がどんどん減ってきている。ここ10数年で、毛皮のコートが魅力的なものから、時代遅れの悪趣味なものとして捉えられるようになったように、貨幣をたくさん持っていることに対するイメージもこれから大きく転換していくように思う。貨幣が全く必要のない世の中になるとまでは言わないが。
それってどんな世の中だよ、というのは僕も考えていて、またどこかで書いてみたい。