日々ブログを書くことについて。

そろそろブログを止めようかと思っている。

このブログはもともと誰かに読んでもらおうと思って書いているものではなくて、日々思いついたことと時節柄考えたことの備忘録として書いている(その割にmixitwitterのタイムラインには更新通知が流れてしまっておりお目汚し申し訳ありません‥)。アクセス解析もしたことはないし、カウンタも付けていないので誰が読んでいるのかは全く分からない。というかおそらくほとんど誰も読んでいない。妻ですらちゃんと読んでいないのだから。でもそれでいいと思っている。この場所で書くことは、普段の会話のなかで採りあげるにはちょっと照れ臭いことや、恥ずかしいことが多い。口で言えないから代わりにこの場所でこっそりぶちまけているのだ。たまに面と向かっての会話で「そういえばブログで○○のこと書いてたけど‥」みたいな感じで話を振られると恥ずかしくなる。顔が赤くなり、その話題は止めてくれと思ってしまう。本当は腹を割って話し合いたいくせに。むしろ自分のために書いているのなら非公開にして自分あてに書き続ければいいじゃないかと言われればそうなのだけど、非公開にしてしまえばもう僕はブログを書かないのだと思う。我ながら不思議だが、読んでもらっているかもわからない、誰とも知らない人向けに書き続けることがモチベーションであり、文章のモラルを保つ一線(しかしながら読み手のことを意識した文章からはほど遠いとは自分でも思う)になっているのだと思う。

そろそろブログを止めようかと思ったきっかけは、自分で自分の文章を読んでいてつまらなく思うようになってきたからだ。相変わらず書くことは好きなのだが、最近は後からその文章を読み返してみても、なにも感じることがなくなった。日々Webでたくさんの文章を読んでいて、インプットは充分しているはずなのだが、インプットの内容の質がどうも悪くなっていて、それが自分の文章にも影響を及ぼしているように思う。

もっと言えば、ここ5年くらいで固まってきた生活習慣・日々のルーティンがそろそろ制度疲労を起こしているのだと思う。現状維持は楽だし、居心地がよいけれど、それが行きすぎると自分自身を蝕んでしまう、所々でそんな状況に陥っているように思う。今まで無意識に守ってきたこだわりや行動パターンを捨てて、新しいものを掴んでいかなければ、気付けばじり貧になってしまう。先週の「あっちゃん卒業」のエントリで書いたことそのものだと思う。インプットの状況の様子をみて、ブログを止めるか(orお休みするかor形態を変えるか)考えてみたい。