リズムとメロディ。

夫婦生活も1年を過ぎてふと気付くのは、僕はよく家で替え歌を唄っていることが多い、ということだ。

「○○(妻や自分の名前)は△△〜♪」といった感じで、内容は少々お下劣だったり、基本的には部外の人が聞くに耐えないものである。よくテレビで聞くCMや、野球やサッカーの応援歌や、よく聞く曲に合わせてほぼ即興でフレーズをはめこんで唄う。基本的にはシャワーを浴びていたり、食事を作っていたり、書きものをしていたり、なにかしながら唄っている。今では、妻のことをからかって唄うと、向こうも僕の恥部を使って替え歌を作って対抗してくるようになった。

鼻歌ならともかく、果たして日頃家庭内でこういうくだらない遊びをしている人はいるのだろうか。記憶の限りでは、猿岩石がユーラシア大陸横断ヒッチハイクをしたときの本のなかで、替え歌を作って繰り返し唄っていたという記述があったはずだ。というか、僕の予想ではかなりの割合でこういうことをしている人はいるんじゃないかと思っている。ちなみに僕は子どもの頃から弟のあだ名を使ってこういう替え歌を作って弟をからかっていた。(なんと根暗かつ傍からは理解されない遊びだろうか苦笑)1人暮らしをしている時はさすがにこの「症状」は出なかったが、新しい家族が出来て、久しぶりにこの「症状」が復活したのだ。

★★★

この「症状」から展開してみると、「リズムやメロディー」と僕がいかに密接な付き合いをしてきたかがわかる。ジョギングをする時は、ぶつぶつどうでもいいことを口ずさんでいるし、自転車で走っているときは、お気に入りの野球チームの応援歌(もちろんスタジアムで自分もその場に加わって統率の取れた応援をするシチュエーションも好きだ)やその時に好きな歌を唄っている(こういう人は僕以外にも街でよく見かける)。テストや資格試験を受けるとき、将棋を指しているときには上半身をわずかにゆらゆら動かしていると集中力が高まることを知っている(これは貧乏ゆすりではない)。見かけによらずクラブで踊ったり、テクノに身を委ねるのが好きである。僕のマニアックな趣味のひとつは、首都圏のJRの発車メロディーを聴くことだ。

そして、人とリズムとメロディーとの関係については、以下のエントリに詳しくまとめられている。
サカナクション“夜の踊り子”と、暗がりを歩く子供たちの「リトルネロ」』
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-514.html

今まで無意識に重ねてきた僕の習性が、ものの見事にわかりやすく解説されていて驚く。僕の人生もまた、リズムやメロディにずい分助けられてきたのかもしれない、と思う。人間の感情や思考のきめ細かさは、人間が感じるリズムやメロディの微細な響きによってかたちづくられるのではないだろうか、なんて思ったりする。