あっちゃん卒業に思う。

今月3回目の長野県への出張。さすがに真昼は日差しの強さを感じるものの、線路沿いには早くもコスモスが咲いている。車窓にじっくり目をやることもなく、複雑にこんがらがった案件のことを考えるのはもったいないが、素晴らしい環境のなかで考え込んだのがよかったのか、今まで東京ではなかなか全貌を理解できなかったものごとを、ある程度のところまですっきり整理することができた。信州の爽やかな空気が頭をクリアにしてくれたのかもしれない。

★★★

一昨日の夜、あっちゃんこと前田敦子AKB48から卒業するということで、普段歌番組をほとんど見ない僕も、テレビの前に腰を下ろした。画面からは、まるでAKB48自体が今夜で解散してしまうかのような緊張感が伝わってきて、珍しく最後まで集中して見てしまった。

聞いたことのあるシングル曲をいくつか歌った後、AKB48メンバーひとりひとりからの卒業するあっちゃんへのメッセージが贈られた。彼女たちのメッセージを聞いていて、大げさではなくAKB48メンバーにとって、あっちゃんという存在自体が、良きライバルであり、憧れの対象であり、越えるべき壁としていかに大きかったかを思い知ることとなった。そしてそれだけ大きな存在であるからこそ、今このタイミングでAKB48から卒業していくことに意味があるのだろうと思った。

絶対的なエースがチームから去ることで、その地位は次の世代に否応無しに受け継がれる。最初はその地位が分不相応に感じられたとしても、たいていの場合、エースがいなくなることを機に、それまでの予想よりも速いスピードで残された若い世代の者たちは成長していく。これはAKB48に限ったことではないだろう。逆に言えば、エース級の存在がなかなか去らずに踏ん張り続けている集団からは、なかなか活きの良い若手は出てこない。

そしてあっちゃん自身も、これまでいわば秋元康に用意してもらったステージの上で経験値を重ねて大きくなっていった段階を卒業して、自分の意思で、自分が進みたい方向に進んでいく段階へと足を踏み入れるのだろう。あっちゃんからの最後のメッセージで、「AKB48は私の青春の全てでした」という言葉があったが、その通り、青春時代を卒業して、自立したひとりの大人である前田敦子として、歩んでいこうとしているのだと思う。

人間いつかは、人に用意してもらったステージで泳ぐ(泳がされる)段階を卒業して、自分自身のテーマを見つけ、そこに自発的に飛び込んでいくものだと僕は思う。僕自身の卒業はいつになるのだろう、と考えている。