遭難事故と空気の圧力。

買い物をしていたところロードバイクが何者かにぶつけられ、ホイールがぐにゃりと曲がってしまった。修理に出しているが、どれくらいのレベルでの修理が必要なのかまだ全容が掴めない。ぐにゃりと曲がってしまった愛車を見るのは哀しい。壊れて初めて、単なる移動手段として以上の愛情が芽生えていることに気付いた。もちろん移動手段を失ったという意味でも痛手である。最寄り駅まで歩けば20分以上かかるうえにバスの便もたいしてよくはないので、自転車がなければ文字通り足を失う。今まで当たり前に享受していた環境のありがたさに今更ながら気付く。多少お金がかかってしまうのはしょうがないので、早くロードバイクが元気になって戻ってきてくれることを願う。

★★★

昨日の『トムラウシ山遭難は〜』についてさらに感じたことをつれづれと書く。

登山は本来自己責任の姿勢であるべきであるということと、準備段階を含めた決断の積み重ねが結果を左右していくスポーツである、ということを昨日書いたが、これに関連して『トムラウシ山遭難は〜』第2章のガイドの証言のなかで興味深い文章がいくつかでてくる。

登山3日目の朝に、風雨が収まらないなかで出発してしまったこと、出発してから最初の異変が起こった段階で小屋に引き返そうとしなかったことが、遭難事故につながった大きな要因となっているが、サブガイドの証言には『「行こう」ということになって、「ええっ、マジで?冗談でしょ」と思いました。』とある。参加者のなかにも、『もしガイドから参加者に対して、「どうしましょうか」という問いかけがあったらおそらくスタートするのは難しかったのではないだろうか』『こんな日には行きたくないなぁと思っていたけど、ガイドさんたちが相談して「行く」と決めたのだから仕方がない、(中略)自分は1日ずらしてほしいと思っても、他の人の予定を考えたら、そんなに簡単にずらせるものではないだろう』と思っていたとの報告がある。しかし、誰もその思いを口にすることはなかった。行程が1日延びることで、それぞれの都合だけでなく宿泊先の手配や帰路の航空券の変更といった煩雑な手続きが必要になること、3日目の朝にかけて宿泊していた避難小屋には、その日の午後から別のパーティーが来ることになっていたこと等も、考えたくはないが、出発に踏み切る原因になっていたのかもしれない。

出発してからも、パーティーがバラバラになり取り返しのつかない状況に陥るまで、「引き返そう」という言葉はついに聞かれなかった。誰もが心の中で「誰かが引き返そうと言ってくれないかな」と思っていたにもかかわらずである。ガイドをはじめとして誰の判断が責められる、ということではないが、誰もが思ったことを言い出せず、本来必要とされた判断ができず、危機に陥っていく、という図式こそが、この遭難事故の性質を端的に表している。そして、このような図式は、こと登山のみに限らず、企業経営で、国家運営で、人間関係で、日本のどこかで見たことのある景色ではないだろうか。