虫の話。

先月始めのマレーシア旅行以来、対して遠出をしていなかったので、昨日は奥多摩に出掛けた。登山やらキャンプやらで何度か行っているけれど、秋冬以外の時期に行くのは初めてだ。夏は夏でこんもりとした山が青々と茂って存在感がある。

涼しいくらいの日ではあるが、一応夏ではあるし登山ではなくウォーキングコースを歩こうということだったが、いざ歩いてみるとアップダウンがきつく、ほどなく汗だくになった。湿度も高いので汗もなかなかひかない。

★★★

つり橋もあり、滝もあり、ダムもあり、それなりに楽しかったが、なかでも虫が良かった。夏の山は虫たちの遊び場のようだ。

虫ほど、絶えず生存競争にさらされている生物は他にいるだろうか。より大きな動物に捕食されることも多いし、同じ虫の世界でのライバルも多い。地球上の全生物の種類のうち2/3から3/4を虫類が占めるという。それだけ競争が熾烈ということだ。

虫が持つ能力や身体の特徴は全て生存競争のためにカスタマイズされてきたものである。自分の身体の何倍もの高さをジャンプしたり、敵の嫌う臭いを発したり、身体の色を変えたり、他の生物にはない能力を獲得してきた。

絶えず緊張状態のなかで進化を重ねてきたそんな虫の姿は美しい。そもそも変温動物であるからして、身体に脂肪をはじめ無駄なものがない。手足の長さや目の位置、移動する時の姿勢、一見グロテスクなものもあるが、じっくりとみればなんとも機能的な身体のつくりをしている(それでも節足動物は好きになれないが。。)。

虫の姿を見ていると、生存競争を経て今もなお残っている種は、デザインの点からも美しいのだ、と思わされる。動物園で暮らしている動物と、サバンナや山中で生きている動物と、どちらが美しいだろうか、ということも同じ話だ。日々研ぎ澄まされるものがあるからこそ、美しさも生まれるのだ。その際たるものが虫なのではないかと思う。

そしてこれは、人間や学問やビジネスにおいても当てはまるのではなかろうか。激しい競争にさらされる業界ほど、ビジネスの形は洗練されて美しくなる。後世にまで永く通用する理論や数式は美しい。日々勝負の世界で生きている人間にも、独特の美しさが備わってくるように思うし、それぞれの世界で第一線から引退して穏やかな生活を過ごすようになると、とたんに老け込む人も少なくない。

必死に生きる虫の姿から、そんなことを思う。

★★★

ウォーキングは2時間ほどで終了して、帰りの電車に。たっぷり汗をかいたシャツから乾いた長袖シャツに着替えて、電車の座席でぐっすり眠った。きのう1番気持ち良かったのはそこから目覚めた直後だった。