原体験。

ファイナンス分野のとあるセミナーのまとめ記事を読んでいて、大学生の頃に感じていたこと、考えていたことを久しぶりに思い出した。

大学生の頃、サークルのような、団体のようなところで活動をしていた。活動の内容自体は小学生や知的障がいのある人たちと定期的にレクリエーションをしたりキャンプに行ったりするもので、学生たちはボランティアの形でそこに関わっていく。小学生が成長していく過程にかかわるのは楽しいし、知的障がいのある人たちの個性や生き方には、時おりはっとさせられる。そして何よりも一緒に活動してきた素敵な仲間から学んだことがとても多い。そもそも活動をはじめたきっかけも、内容自体に惹かれたというよりは、この人たちと一緒になにかやると楽しいだろうなぁ、という直感だったのだ。彼らと過ごした時間の蓄積が、たくさんの思い出とともに、今の僕の少なくない部分を形づくっているのは間違いない。

そのような場所で、人間的に成長させてもらったことに加えて、金銭的に団体の運営を進めていく、いわば中小企業経営のような側面についても垣間見ることができた。

団体の活動は、学生ボランティアだけで成り立たせることができないので、正規の職員の方がいる。しかしながら、活動の対価としてお客さん(小学生など)から払ってもらう参加費だけでは到底職員の人件費を賄うことはできない。もちろん団体を運営するには人件費だけではなく、事務所の家賃をはじめにさまざまな経費がかかる。実際のところは、上部組織からの補填や、地域社会からの寄付で成り立っていた。団体はNPO法人だったので、助成金補助金、寄付に関するメリットは享受できていたが、おこがましくも僕は、もっとよい資金調達の方法はないものかと考えるようになった。具体的には、資金の出し手と受け手のつながりに多様性をもたせることで、今までよりも多くの人に資金の出し手になってもらうことができるのではないか、そして資金の出し手の満足度を上げることもできるのではないか、と考えていた。(資金の出し手のなかには、つながりを持つことに満足感を得る人もいるだろうし、そっとお金だけを出したい人もいるので、単につながりを強める、のではなくてつながりの形に多様性を持たせる、というスタンスであるべきだとは思う。資金の出し手の発言権を強めすぎるのも良いことではない)この時は単に考えただけでなにも行動に移せなかったけれど、このテーマはその後も無意識的に僕の脳裏にある。そして、社会にはソーシャルファンディングやクラウドファンディングといった、資金調達にかかる新しい試みが生まれはじめている。

原体験が必ずしも人生を左右するわけではない。しかし行き詰まった時に立ち返る場所にはなると思う。そんなことを思い出した。