マルチの本質。

今週前半、ある有名なフリーランスのライターがアムウェイにかかわっていたことが発覚して、久しぶりにマルチ商法なんてものを思い出した。そして、このエントリを読んだ。↓

http://d.hatena.ne.jp/sunomononano/20090315

読んで時間が経ってからも心に残ったのが、マルチにはまった弟君の

『それが、マルチに入ってすげーいい奴に恵まれて、みんなすげー大きな夢持ってて、すげーかっこいいのね。マジで輝いてる。今行ってる会社なんかこんな熱い奴らいないし。そんなすげー奴らと一緒にいられると、俺もすげー成長できる気がするし、そう素直に思えることって悪いことじゃないと思うんだよね。だから俺は悪いことしてないし、誰からも文句言われる筋合いはないし』

という言葉。

この発言のなかでの「夢」というのは、表向きには、ベンツに乗りたい、金持ちになりたい、成功したい、仲間とアクティブに生きたい、などという具体的な形をしている。が、それぞれの心のなかでは、そんな具体的目標が達成できる自分に生まれ変わることで、自分に自信を持ちたい、という本質的な欲求なのだろうなぁ、と僕は考えている。

本当に金だけ稼げればそれでいいと思っている人はマルチにははまらないだろう。マルチにはまって成功者への道を歩むほどに、嫌がおうにもマルチピラミッドの下層の人々から憧れの存在として注目を集めてしまうし、走り続けなければならない。それを快感と思える(もしくはそのように自己暗示をかけられる)人でなければマルチの成功者は務まらないだろう。

おそらくマルチに手をつけてしまう人の大半は、なんだか自分に自信がなかったり、物足りなさを感じていて、そんな心の弱みを満たしてくれる存在として、マルチに引き寄せられてしまったのだろう。マルチの成功者はひと目、そんな風に人を引き寄せる魅力を放っている。そしてその魅力は、憧れの存在として走り続けるために自分で自分に麻薬を打ち続けているような危うさも包み込んでいる。

マルチ自体は違法ではないだろうが、人の心の弱みを最大限に悪用したその仕組みには吐き気を覚える。とともに、物質的な豊かさに限界が見えつつあるなかで、各個々人が「心の弱み」をどう満たすか、という本質的な問題はますますこれからの世界で重要視されていくだろう。そんななかでマルチまがいのものも増えてくるだろうし、マルチに限りなく似ているように見えて、本当は真に人を支えるようなものも出てくるだろう。