告白。

先週末に中学高校の同窓会があって、あの頃自分が考えていたこと等々を久しぶりに思い出した。どうやら記憶というのは景色とともに脳裏に残っていくようで、学校のなかのいろんな場所、旅行で行った場所、天王寺界隈のいろんな場所が次々に浮かび上がってくる。10年以上前になると、それぞれのイベントがどんなものだったのか、という記憶は既に忘却されつつあって、その中のワンシーンや特定のエピソードだけが記憶として残っていく。

中高6年間で何度か好きな人に告白をしたことを思い出した。小学校高学年の頃にも好きな人はいたし、大学に入って以降も幾度か人とお付き合いをしたことはあるけれども、告白の思い出はほぼ中高6年間分のそれに集約されるのはなぜだろうと思う。というかそもそも、告白という行為自体をなぜあの頃は特別視していたのだろうかと、今になって思う。桂正和恋愛漫画の読みすぎだろうか。そういえば男なのに柴門ふみの『恋愛論』を読んだこともあった。

中高6年間でいくつかのパターンの告白をしたことがあるが、僕の場合なぜか返事が返ってこなかったことが多い。そのまま相手に返事を聞くこともなく立ち消えになってしまったこともあるし、少し経ってから「あのぅ、こないだの件は・・・」と切り出して、相手にあれは告白だったのか、というリアクションをされたこともある。僕の言い方が直接的でなくまわりくどいのか、それとも押しが弱いのか、たぶん両方なのだろうと思う。あと今になってわかるのは、「告白する」こと自体が目的になってしまい、告白して付き合ったあとどうなりたいのか想像したり、そのためにまず自分になにが必要なのか、というところがわかっていなかったりしていたのだろうな、ということ。

そもそもお付き合いを始めるにあたって、「告白」自体にはあまり意味がなくて、それまでにどれだけ当人どうしの関係が深まっているかなのだろうな、と今になって気付く。「告白する」時にドキドキしたり不安になったり、「告白」のやり方を工夫して大逆転を狙ったりしている時点でダメなのだろうな、と(わざわざここで書いてしまうことによる興ざめ感はがあるがそういうことなのだろう)。

だとしても、中高6年間で重ねた失敗は、今振り返ると後悔というよりはすがすがしいものなので、玉砕にも意味があったのだと思いたい。そして、誰もが冷静さを失っていた(その方向は各人バラバラだが)のがあの頃だったんだろうなぁ、と僕は同窓会の帰り道にしみじみ感じたのだ。