あらしのまえに。

きょうも塩釜まで行ってきた。最近出張してばかりである。朝は暑くなりそうな日差しがギラギラと照りつけていたが、仙台に着いてみるとさわやかな風が吹いている。日中も屋外にいたが、真夏というほどでもなく、過ごしやすい陽気だった。夕方東京に戻ってきても涼しい風が吹いている。そろそろ夏が終わろうとしている。昨日の朝は久しぶりに小学生の登校風景を見た。みな夏休みの宿題の成果物を両手に抱えきれないくらいに持っていた。

★★★

ガラッと話は変わるが、恋愛&家族の絆を支援するAndroidアプリ&クラウドサービス「カレログ」というのがいま話題沸騰だそうで、なかなか香ばしい。スマートフォンのGPS機能を用いて相手の居場所がわかるだけでなく、恐ろしいことにその端末の電池の残量や携帯電話の通話記録、インストールしたアプリの内容までわかるそうだ(しかもAndroidアプリはiphoneとは違ってインストールにパスワードを要求されないらしい)。例えば徘徊癖のある人の監視などには有用だろうが、このアプリを正気で使うような人とは正直僕は関わりたくない笑。そこまでして保つ関係の意味はなんなのだろうか、と考えてしまう。一応「相手の同意のもとに使ってくださいね」という但し書きがあるので、同意なく勝手に彼の携帯電話にインストールさせて情報を取得すると訴訟くらう可能性もあるだろう。

以前、友人の女性で彼からGPSを仕込まれているという子がいたが、僕には常軌を逸しているように思えた。人と人とが一緒に生きていくために大切なことが欠けている、なんて説教臭いことを言うつもりもないが、すすんでそういう行為をする人の思考回路は一体どうなっているのだろうか。

僕は臆病者なので浮気はできないだろうし、普段から浮気をしないようにしないようにと気をつけている(と自分では思っているww)。しかし、いつか浮気という名の危ない橋に向かって無意識に歩いていってしまうかもしれない、という不安も拭い去れない。悪いことだとはわかっていても止められないかもしれない。日々の行動選択でそういったことをしてしまう可能性からできる限り遠ざかるようにしても、遠ざかろうとした道こそが地獄の入り口だった、なんてこともあるかもしれない。もし過ちをおかしてしまった場合、僕はどうすればよいだろうか。人間だから時に失敗もする、という言葉はそこで意味を持つのだろうか。

信頼することと過ちの可能性とのバランスを取るのは本当に難しい。ただ、全ては自然に落ち着くべきところに落ち着くのだと思う。自分がした全ての行動とその見返りは、帳尻が合うようになっているのだと思う。