フラッシュバック。

遠くに行く、という感覚は単純に距離で測れるものではない。

小学生の頃、子供だけで遊ぶときにはほとんど半径3キロくらいで事足りていた。自転車や一輪車(!)で隣の町まで行ったりということが多かった。いつだか友だちだけで阪神電車に乗って神戸まで行ったことが一度だけあって、随分遠くまで来て心細い気持ちになった。お金がなくなり帰られなくなったらどうしようかとばかり考えていた。日本を出てどんな国に行っても、あの時以上に遠くに来たと感じたことはないと思う。きょう出張で高速神戸の駅に降り立った時にそんなことを久しぶりに思い出した。

★★★

空き時間に、もといた銀行の友人と久しぶりに会った。3年ぶりくらいだったろうか、僕よりも随分貫禄が出たように思える。過ごした時間の濃さの違いだろうか。飄々としていて人間関係で悩むことのない彼だが、目に見えない日々のプレッシャーもあるのだろうか。疲れが溜まると、どこかでそれは質転化してその人をまとう鎧になるのかもしれない。

確かに銀行時代はしんどいことが多かった。その時は普通だと思っていた、というか思わなければやってられなかったのだろう。毎日精神的にも肉体的にも疲れていたので、ベッドに入ってすぐに眠れなかったことがほとんどなかった。仕事でヤバい局面をなんとか切り抜けようと緊張したり、目標とされる数字を達成するために一分一秒も惜しんで動き続けたり、昼食をとる暇もないくらい忙しかったり、とにかく仕事量をこなしていた。今の職場で当時ほど忙しくなるような日は月に一日あるかないかだと思う。

振り返ってみると、一見無駄な努力も多かったが、それと同じくらい今も仕事の基礎となっていることが多い。特定のスキルや知識というよりは、ガッツや責任感をもって仕事に取り組むという根本的な姿勢が身に付いたのだと思う。そのあたりの姿勢は体育会系の部活をしていた人やイベントの運営等でハードな経験をした人であればある程度素地ができているわけで、かの銀行にやけに体育会の出身者が多い理由が今になって改めて身体感覚をもって理解できた。

昔採った自分の選択が良かったとか、ダメだったとか、まだまだ判断できることではないけれど、昔の自分を切り離して生きることはできないし、その延長線上にしか歩むことはできない。最近あまり振り返ることがなかったそんなことを思い出した。