fundraising.

桜も咲き始めたらと思ったら一気に満開近くに。気温も上昇してきてまさに春本番。今年の冬は長かった。普通の春が訪れることがどれだけありがたいことか。

被災地ではまだまだ落ち着いたというにはほど遠い状況で、おそらくこれからが復興への長い道のりになるのだと思う。そんななかで、昔から考えていたことが頭をもたげてくる。

日本は今に至ってもなお、1500兆円近くの個人資産を持ち、なおかつ世界最大の債権国でもある。日本の個人投資家が動かす資金が為替相場に影響を与えることも少なくない。今回の震災で多くの国富が津波にさらわれていったが、それでも被害額は間接的なものを含めても個人資産の1%を少し越えるくらいにとどまるだろう。そのくらい、日本が長年かけて蓄積してきた国富は分厚い。

この個人資産のなかで、もっと生かすことのできる資金がたくさんある。今はその大半が、郵便貯金や銀行の定期預金として眠っている。震災が来るまでは僕は、この資金をもっと海外への投資に振りむけるべきだ、国内より海外のほうが投資資金を必要としている場面が多く、そこで有効にお金が働くことにより、出し手にとっても相応のリターンが巡ってくる。ということをよく言っていたが、震災が起こって、その状況が少し変わった。

今はまさに、国内でこれまでになく資金を必要としている場面なのだと強く思う。焼け野原になった町をどう新しくデザインするのか、原子力発電に変わる安全かつ安定的な発電方法をどのようにデザインするのか、それらのプロジェクトが資金を必要としている。そして、これらのプロジェクトはただ失ったものを復旧する為の投資ではなく、日本においてこれまでになかった分野(災害に強いコンパクテシティづくり、再生エネルギーによる電力供給等)において、世界の中で優位性を築くための、非常にリターンが見込まれる投資であることは間違いないだろう。

今回の震災を機に、日本でもチャリティーの文化が花開き始めようとしている。寄付行為も、「名誉」や「自己満足」という対価を得る為の「投資」の一環として捉えることもできるだろう。チャリティーの立場からもう一歩踏み込んで、「投資」の観点でもっと多くの資金を集められないだろうか。投資に対して、寄付のように「名誉欲」を満たすような仕組みを作れないだろうか。昨今野球場でよくある『命名権』などというのはひとつのヒントになるだろう。いろいろやり方はあるはずだ。こうやって資金が集まれば、むやみに税金を上げる必要もなくなるだろう。

この話についてはもう一度情緒的な観点から書いてみようと思う。