Twitterと僕。

もう今週も木曜日の夜になっている。今朝少し早く家を出て、ひと駅ぶん歩いていると、目黒川の両岸の桜の芽がほのかにピンクに色付いていた。もうあと1ヶ月もすれば咲き始めるのだ。時間の流れはかくも速いものかと思い知らされる。今週は特に毎日いろいろな人と会っているので特に速く感じる。日々あったことをなかなか消化しきれていない。


Twitterをはじめてもうすぐ9ヵ月くらいになるが、やっとTwitterの使い方がわかってきた気がする、と同時に、Twitterの使い方はいろいろあるものだということも今になってわかってきた。

まず、メールの代替手段として使える。特に直メールで送らなければならないような場合でないときや、周りの友達にもアナウンスできるような事項をやりとりするときは、直メールよりも便利だと思う。わざわざメール送るほどのことでないような内容(文字通り「つぶやき」レベル)でも気軽に送ることができるのがいい。他の人にも見られていることを忘れなければ。

次に、議論の手段として使える。僕はあまりTwitter上で議論をすることはないが、Twitterの最大の利点として、普通はまず話しかけられないような人あてに話しかけることができる。弁の立つ人などが、著名な人に話しかけて議論になっていることはよくある。

さらに、情報発信&入手の手段として使える。佐々木俊尚さん (@sasakitoshinao)が『キュレーションの時代』という本を出版しているが、Twitterはまさにキュレーション(=情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること)を行うには最適のツールだと思う。僕も、金融や投資や各業界の情報、また趣味の将棋や野球や登山などの情報をうまくまとめて発信してくれる人をフォローして、今まででは気づきもしなかったようなイベントのお知らせや、新たな知識を手に入れられている。もちろん佐々木俊尚さん (@sasakitoshinao)が毎朝いくつかのホットなニュースを選別してツィートしてくれるのを読むのも日課になっている。

この他にも、著名人のつぶやきが聞ける、ひとつのニュースに対していろんな人の捉え方を知ることができるなど、それこそユーザーの数だけ楽しみ方はあるのだと思う。使い方ひとつとってもこれだけ広がりがあるというところに、僕はTwitterの底知れぬ可能性を感じる。

僕個人では、情報発信&入手の手段として一番役立っている。日記も書き、mixifacebookもとなるといささか食傷気味ではあるけれど、もう手放すことはできないと思う。