心の栄養。

『認知コスト』という言葉を最近知った。いわば頭が消費するエネルギーのようなものを指すらしい。例えばテストを解くために頭を使ったり、知らない土地で目的地にたどりつくために頭を使ったりすると認知コストを消費する。それだけではなくて、人間関係に気を使う時にも頭はエネルギーを消費している。認知コストを部下に押し付ける(部下が上司の顔色を伺ったり、機嫌を損ねないように行動せざるを得ない状態になる)上司はダメ上司だと言える。幸いなことにそういう意味では、ここ数年間の自分は認知コストの低い環境で働けていると思う。残念ながら前職の時はそのような環境ではなかった。認知コストの低い環境で働いていると、創造的な仕事のアウトプットにつながりやすいとも言える。現に僕の同僚でも、ハイパフォーマンスをたたき出している人はいる。僕はそもそもの努力が足りないのか、その人には全然及ばないのだけど。。しかし僕がこうやって日記を書けているのも、昼間に消費する認知コストが低いからに他ならない。昼間に気を使ってばかりいたら、とても帰り道や家で文章をしたためる気にもならないと思う。たとえ仕事量が多くとも、認知コストの低い状態で働ければ、忙しい時期であってもアウトプットはできると思っている。もっとへとへとになるまで仕事しろよ、と言われるかもしれないけど、僕はそこまで仕事したいとも思いません。たまにはいいけど。

ただ、認知コストは低ければ低いほどいいってものでもないようだ。というのも、僕は幼稚園から今に至るまでさまざまな集団のなかで過ごしてきたけど、必ずどの集団でも最低一人は苦手な人、あまり好きじゃない人がいた気がする。うまく話せなかったり、意識的にその人の前を通るのを避けてしまったりする人が必ずいつも自分の周りにいた。今思うとそれはその人自身の素行や人となりに問題があるというよりは、自分の心のなかの認知コストを一定に保つ為の作用なんじゃないかと考えるようになってきた。もしくは僕の心がひんまがっているという仮説もある(笑)

最近今まで無意識に反応していると思い込んでいたものごとについても、実は自分の頭や心のなかでちゃんと意味付けられ、起承転結に基づけられるんだなぁと思う経験が多い。僕の場合は自分ひとりで自分の心のなかに深く潜っていくことがどうもできないので、人と話したりすることで、その人と一緒にその世界に潜って自分の心の世界にようやく到達している。一緒に潜ってくれる友達は何よりも僕にとっては大切な人です。

変なこと言ってるけど、別にこれは宗教でもなんでもないので悪しからず。