負けました。

また将棋の話になるけど、きょうは投了について。

投了とはWikipediaによると以下の通り。

投了(とうりょう、Resignation)とは、ボードゲームにおいて、不利な方が負けを認め、終局まで打たずに(指さずに)ただちにゲームを終えること。

将棋の場合は「負けました」「(これ以上指す手が)ありません」などと言って頭を下げることが一般的である。もちろん、勝負が完全に決するまで指し続けることもできる(初心者同士だと最後まで指すことが多い)が、少し上達してくると、数手の後に自分が負けることは自ずから予想がつくようになるので、最後まで指さずに投了することが多い。

しかし実際に将棋を指していると、投了はなかなかできないものだ。自分自身にもう勝ち目がないことを充分に認識しないと投了はできない。人間はどうしても、どうにかすればまだ逆転できるんじゃないかと希望を抱きがちだ。たとえそれが錯覚であっても。その希望を乗り越えて自ら負けを認めるのは、よっぽど心が強くないとできない。僕みたいに趣味の範囲でやっていても、実際その場面でなかなか声が出てこないことがある。声が出ないから、仕方なく1手余計に指してしまうこともある。こども将棋大会などでも、「負けました」が言えない子は多い。

さらにおまけの話をすると、将棋の対局を行ったあとは、『感想戦』というものを行う。これは例えるならば、野球選手やサッカー選手が試合の終わった後に、試合をプレーバックしながら「あそこではこのボールを投げるべきだった」とか、「このパスが勝負の分かれ目だった」とかお互いにアドバイスをするようなものである。一般的には『感想戦』こそが将棋の実力を上げる最短距離の方法だと言われている。終わったことを振り返り、対局中のお互いの思考をさらけだし、さらに将棋という世界を深めていくのだ。

これだけ、『負け』から多くのものを学べる競技はないと思う。

社会人になると、明確に勝ち負けがつくような経験をすることが少なくなる。悔しいと思うこともないわけではないが、挫折からなにかを学ぶ、はっと気付かされるということが昔よりも減ってきている。そうやっていったん鈍感になってしまえば、自分自身がいつの間にかずぶずぶと沈んでいることにも気付かないまま、人生の不戦敗に陥りかねない。もし最終的に『負け』てしまったとしても、戦って負けて、潔く投了できる人生だったらいいな、と思ったりするかどうかは秘密。

というわけで、今夜はA級順位戦8回戦が行なわれています。。