カフェ③。

(昨日の続き)

そういえば、昔の大阪にはいたるところにベンチがあり、オッチャンが所在なげに座っていたり、道ゆく人たちに自由気ままに声をかけたりしていた。20年前くらいだろうか、ジベタリアンという言葉もあった通り、コンビニの前にたむろする若者も多かった。いまはめっきりそういう人は見なくなった。郊外や地方のコンビニには代わりにイートインスペースができた。出張時には、カフェ代わりにこういった場所を利用することもある。都心のコンビニにはイートインスペースもない。人と会って話をしたり、1人でも休憩をする時にはほぼカフェに入るという選択肢しかない。都心になると地下鉄をのぞけば駅にもベンチはほぼないし、待合室も新幹線の通る駅にしかなくなったように感じる。キャパシティも足りていないので、結局ここでもカフェを利用するしかない。カフェ産業の隆盛というのは、街の公共スペースの縮小と表裏一体だったのだと思うし、ほんの少しのスペースであっても営利活動に注ぎ込まれることが求められるのが東京や大阪という街なのだなあと思う。唯一残っているフリースペースは公園だろうけど、ターミナル駅の周辺ではもはやそういうスペースも消えてしまった。これが街にとって良いのかどうかはわからないのだが、商売をするうえではきっと良いのだろう。ただ、その分なにかが切り捨てられているのも確かである。