里程標。

子育てとは自分の通ってきた道を確かめる里程標のようなものでもあり。

ただ泣いて、おっぱいを飲み、ごはんだけを食べていた時代から、立って歩けるようになり、保育園や幼稚園や学校に通うようになり、意思を持ち始め、本を読むことで知識を身に付け、ゲームにも親しみ、スポーツができるようになり、将来やりたいことがおぼろげながら見えてくるようになり、、どれもが当たり前のようで当たり前でないことの連続である。

そして、勉強をするようになる。なんのために勉強をするのか、ということを考えるのはもっと先の話で、この勉強が将来なんの役に立つのか分からなくても、分からなかったことが分かるようになる、ひとつの問題についても多様な解き方のルートがあることを知るようになる。問題を解くにあたっての自分の嗜好の癖や得意分野、不得意分野を知ることになる。それらひとつひとつが大人になってからの次の時代を生き抜くひとつひとつの力になることを、おっさんになったいまの自分は知っている。

さて、どこまで一緒に景色を見られるだろうか。