推しの限界。

羽生結弦選手の離婚発表には驚きしかない、とともに、「推し活」ビジネスの袋小路を感じさせる寂しい、空しい、やるせない話題となってしまった。

特定の誰かを応援することがブームとなり、はや10数年が過ぎた。AKBが握手会をしたり総選挙をしはじめたのがその始まりなのかな、と個人的には思う。

ジャニーズもじわじわと勢力を増し続けていたし、宝塚も根強く、いや近年になって一層熱を帯びていたのかもしれない。視点を変えてみても、地下アイドルを推したり、形変わったところではホストに入れ込む若い女性の功罪がクローズアップされたりもした。

身も蓋もない言い方をすれば、特定の誰かを応援する、ということは、重課金に陥りやすいビジネスモデルで、商いをする側としても利益が取りやすい類型のビジネスだったのだろう。しかしながらその弊害が今となっては至るところで噴出しており、「推し活」というマイルドな言葉では覆い隠せないくらいになってきている。推す方も幸せでなくなってきているし、推される方も果たしてこれが自分の望んでいた人生だったのか、と自問自答せざるをえないことも増えてきているのではないだろうか。

どこかでこのムーブメントには着地点を見出さなければならないし、少なくとも自分の身の回りではこういうビジネスとは距離を置くべきなのだろうと思っている。