生物としての。

Twitterが大規模障害に陥っていた。障害といっても突発的なものというよりは予見できたものと言うべきか。イーロンマスクは果たしてTwitterをどの方向に持っていくのだろうか。Twitterを5兆円で買収した資金は借入によるもので、今ごろ銀行団は生きた心地がしないのかもしれない。

Webサービスは生き物である。数日血が通わなければ、サービスは壊死してしまうだろう。そうして人々の心がサービスから離れてしまえば、その事業価値はゼロに近くなる。崩れるときはあっという間だ。

そして、それでもなお、Twitterはここ十数年自分自身にとっても心のインフラだったのだなぁということを思い起こさせるに十分な事象だった。もう14年前のことだったか、屋久島で携帯電話の電波が全くつながらないところに10数時間いて、圏外から帰ってきて夢中でタイムラインを追ってみたこともあったが、あれ以来ほぼずっと、タイムラインを追い続けている気がする。そして、急にそれができない事態に陥った時にどうしようもなく不安になる自分の心にも気づいた。まったくもって、「ツイ廃」である笑。

人がいつか死ぬように、Webサービスもいつか死ぬ。その時にはサービス上の痕跡もまた同じように消えてしまう。儚いものである。