自覚と目覚め。

学童の野球、そこから学習塾のテスト、と慌ただしい日曜であった。平日も休日もしかりなのだが、やるべきことが山積している、というのは良いことだ。


とはいっても親は当事者というよりは傍観者であり、支援者である。当事者は子ども自身なのだから、子どものほうがたいへんなはずではある。自分自身が子どもの立場であれば、しんどいだろうなあと思ってしまう。


とはいえ、当の本人はふざけ気味である。このお調子もの気質は完全にわたし自身の血を引いてしまっているがゆえのことで、直近の数年間で見せてしまったおちゃらけな言動も影響しているのは間違いない。


野球にしても勉強にしても、徐々に真剣味を増した取り組みになってくるわけで、そうなってきた時にいかに、切り替えをしっかりしてまじめに取り組めるか、が子ども本人の成長に重要な因子になってくるように思う。


なんにせよ、ものごとは自分で気づいたとき、目覚めたときから始まるものだ。そういう意味では、親にできることはさほど多くない。チャレンジしたいときに存分にそれができるように場を用意して、たとえ失敗したとしても戻ってこられる場所を作るくらいなのかな、と思う。