禊。

3日連続でこのことを書いて話題を終わりにしようと思う。都構想は結局反対多数で終わった。ここに大阪維新の会の役割もひとつ区切りとなったということだろう。維新が役目を終えたあとに誰がどう舵を取るのかな、という不安はありつつも、大阪の改革もずいぶん進んだことだし、亡霊のようにつきまとっていた大阪の負の部分の、禊も済んだということだと僕は理解している。


全てはタイミングだったのだろう。2度目の住民投票をやると決めた数ヶ月前のときには、余裕で賛成多数で逃げ切れるはずだった。最後の最後になって追いまくられた。もちろん、はっきりとした都構想のあとの絵姿を見せられなかった、ということも敗因としてはある。やるべきことをやりきらなかった、勝てるとたかを括っていた慢心もあるだろう。


いずれにせよ、大阪は変わらないことを選択したし、この波は全国に波及するだろう。変わらないまま、やれるところまでやる、逃げ切る、という今後10年くらいのこの国としてのスタンスは決定した。そのうえで、変わりたい個人は、あくまで個人として行動することになるのだろう。


よかったのか、よくなかったのかはわからない。答えはいずれ見えてくるのだろう。