正体。

都構想住民投票について、まだ結果がなんとも見えないいまの時点で書く。改めて、18で大阪に見切りをつけた僕が思うのは、維新であり都構想というものは、20世紀の大阪で蔓延していた公務員の腐敗に対する嫌悪感を原動力としていたのだなあ、ということである。


21世紀にはいって大阪維新の会が躍進し、既に大阪の公務員は嫌というほど叩かれ、既得権益ははぎ取られ、行政は十分に改革されたと思う。だから、いまさら都構想が可決されようが否決されようがほとんど大勢に影響はないはずだ。


それでもまだこうして住民投票が行われる、ということは、まだまだ過去のイメージを引きずっている人は多く、旧時代の公務員的なるもの、を完膚なきまでに叩きのめしたい、というある意味で私的制裁にも似た感情が、市民のなかに渦巻いているということなのだろう。


結果が見えないから言えることかもしれないが、結果がどっちに転ぼうが、実質的にはなにも影響はないと思う。30年くらい前に改革しておかなければどちらにせよ手遅れだったのだ。だからこそ、生温い目でしか見れないのである。