残留思念。

六本木でのアポイントの前、少し時間があったので付近を歩いてみた。何度来ても独特な空気感だ。ランチの看板、何十年も前から営業していそうなしもた屋、テーマパークのように派手な不動産屋、キャバクラビル、ドン・キホーテの袋を手に下げた観光客、ややもすればバンコクのカオサンやホーチミンのファングーラオのような猥雑さがある。夜は夜で感覚が麻痺してしまいかねない。

仕事の後六本木に遊びに繰り出したのはもう7年くらい前のことになる。ドキドキしながらも怖いものしらずだった。ミニバブルが燃え尽きる直前で、みな浮かれながらも、今後はどうなるんだろうかという不安を頭の片隅に抱えて、だからこそ刹那的な時間を過ごしていた。

同じように刹那的な時間を重ねた先人たちの残留思念が六本木の街には漂っているように思う。六本木の街に溶け込みすぎて、出られなくなり命を落としたり、人生を棒に振ってしまった人の魂がどこに行くこともできずさまよい続けている。彼らに呼び込まれているような気すら感じる。

六本木でよく遊んでいたのはほんの2〜3ヶ月くらいだったか。もっといたなら、あの街の吸引力の強さに抜け出せなくなっていたかもしれないと思う。それほどに特別な街だと思っている。