改めて。

ここ1年くらいで仕事に対する重みが増している(その割に昇進はしていないのだが)。おこがましいけれども、自分がサボれば会社の業績に直結してくる、ということが現実味をもって感じられるようになってきた。まぁ、この規模の会社であるからこそでもあるし、前職の時にはそのような現実味はない代わりに、結果を出し続けなければどんどん自分の立場が辛くなる、という仕組みが確立されていたので、サボったりサラリーマンとして逃げ切りを図るということはたやすくはないのだが。そして本当はもっと若い頃にこうした現実感を持っておくべきだったとも思う(ただ、それはそれで潰れてしまっていた可能性もある)。

この現実感はじりじりとくる。もっと楽なポジションでちょっと休憩させてもらえないだろうかと思わないでもない。でもそうなったらなったで、自分がいなくてもまわる組織の姿を見るとアイデンティティの欠如に苦しむのだろう。求められる立場にある、ということはやっぱり幸せなのかもしれない。

そういうポジションにいるにもかかわらず、自分の知識やスキルが圧倒的に足りていないことも痛感する。とすれば、肌と肌でのつきあい(変な意味はない)を駆使するか、人が逃げ出しそうなところに飛び込んでいくしかない。苦しい時もあるが、それがやりがいがあるということなのだと思う。

結局のところ、全ての企業はもともとベンチャーとして生まれたのであり、今まで生き永らえている企業はそういう立場でふんばる人がいたからこそなのだと思う。大企業になっても、新しいイノベーションを追い求めようという姿勢がなければ衰退していく。そういう意味では、今の自動車産業では、次世代の移動手段の形を模索する、というイノベーションの題材があるがゆえに勢いがみられるのだと思うし、家電の分野が衰退したのは、そうしたイノベーションを拓く力が失われたからに他ならない。両業界ともに数年前には補助金制度に頼るありさまであったが、その後の成長曲線には大きな差が生まれてしまった。

振り返れば20代は当事者意識も薄く、自分がどうなりたいかということをあてもなく考えていたように思う。つい3年前くらいまでは本当にそんな感じだった。いつしかそんなことを考えなくなり、今いる場所で自分をどう活かしていくかというところに注意が向かうようになった。たまには落ち込むこともあるけれど、この先にどんな景色が見えてくるのか、楽しみに毎日やっていきたいと思う。