寸前。

年末年始はきまって快晴の日が続いている記憶がある。空気は冷えているが降り注ぐ日差しは暖かくそして柔らかい。穏やかに新年がやってくる。

★★★

此花の町を歩く。大阪の中心部の街並みが新しくなろうとも、その周縁の風景は昭和の終わり頃から全く変わらない。春日出商店街は櫛の歯が抜けたように閉められた店もあるが、まだまだ商いをやっている店も多い。変わりゆくはずの時代のなかで、忘れ去られたようにその営みを続けている。高齢になってもみな働き続けている。

日乃出市場と呼ばれる通りに入る。軽自動車も入れないような路地から、高さが2メートルもないような市場が入り口を開けている。そこに店を構えていたのは駄菓子屋だろうか、色褪せた10円ガムの箱や、プラスチックの器が積み上がっている。そこから先、向こう側の車道まで50メートルほど続くかと思われる市場の通り道は真っ暗で、足元も見えない。両側には店をやっていたとおぼしき建屋が続いているが、何を売っていた店だったかも判別がつかない。わずかに店の構えの奥まった側にある木枠のガラス窓から、太陽の光が差し込み、店の床にひし形の光だまりを映している。暗闇のなかをこわごわと歩き、ようやく出口が近くなってきたところで、開いている店を2つ見つける。ひとつはお茶と仏花を売っており、もうひとつは正月ものを中心とした食材を並べていた。野菜もない、冷蔵庫もない、裸電球の下で商品がきれいに並べられていた。

市場を抜けると、子どもの頃から通ったたこ焼き屋に出る。8個で50円、15個で100円という驚くべき価格でもう何十年とたこ焼きを売っている。婆さん2人と兄ちゃんの3人でたこ焼きを焼き続けてきた。僕が小学生の頃に既に婆さん2人は60歳を超えていたはずだ。腰が曲がりかかっているが、それでも鉄板の上のたこ焼きをひっくり返している。もう死ぬまで続けるのであろう。味も変わらない。ふにゃふにゃの小さなたこ焼き。それでも5ミリ四方くらいのタコがちゃんと入っている。

たこ焼きを食べながら歩いていると団地が建ち並ぶところに出る。何千人と住んでいるはずだが、静かで人の気配は感じられない。それでも団地の一階には薬局やクリニックが連なり、たくさんの人が暮らしていることがわかる。昭和の中頃に造られたこの団地は、ほとんどその役目を果たしながらも、ひっそりと人の生活を支えている。

穏やかな日常がいつまでも続くわけではないし、街としては古く縮小していくだけなのだけれど、それはけして悲しむべきことでもないのかもしれない、ということを思う年の暮れ。