埋めがたい、あまりにも埋めがたい。

12月はいろいろな政治の動きがあった。特定秘密保護法案の成立、普天間からの基地移設を前提とした辺野古移転承認、南スーダンでのPKO活動における韓国軍への弾薬提供、そして首相の靖国参拝。テレビや新聞やWebの報道も、人々の考え方も、両極に傾いているように思う。

一方の立場からは、靖国参拝を賛美する声が聞こえる。日本が経済的な力を取り戻しつつある今だからこそ、外交的にもやられっぱなしでなく、なんでも中韓の要求どおりにはふるまわないぞ、という意思を示すべきだと言う。

もう一方の立場からは、首相の行動は軍国主義への暴走に近づいているとの主張を聞く。中韓の反発を招き、経済的にもマイナスの方向に働くのは間違いない、米国の顔も潰した、政権は来年中にも自滅するだろうと言う。

両者の主張はあまりにもかけ離れている。そして、中間の立場をとっている人も、どちらかに吸い寄せられてしまう傾向が出てきているのではないかと危惧している。そして、もう一方の立場の主張を理解しようとすることがどんどん難しくなってきているのではないかとも思う。

特定秘密保護法案の成立によって低下した政権支持率は、靖国参拝を経てどうやら上がったと言うから、比率で言えば参拝を支持する人が多いのだと思う。3年間続いた民主党政権の外交姿勢へのアレルギーが強く残っていることもあり、国民のこの姿勢は当分変わらないのだと思う。いくら軍国主義に突っ走っているとはいえ、現代社会で日中が戦争状態になることはあり得ない。今の日中関係よりも険悪な二国間関係はここ数十年でも世界中にみられたと思うのだが、内戦や民族紛争を除けばいずれも単発的な戦闘に終わっている。核兵器が存在するからこそ、戦争は避けられているのだ。だからこそ、日本も軍備増強を図るべきであるし、対外的にも引くべきでない時もあるのだと思う。

ただ、この姿勢は理解できても、靖国参拝という行動にまでつなげる必要はあったのか、という疑問はある。今回の行動は首相の個人的な思い入れにも思える。そもそもなぜ参拝を公約に据えたのか、なぜ靖国参拝にそこまでこだわるのか、説明が足りないように思う。

この行動を通じて首相は、順調に進んだこの一年の政権運営への満足感を表現したかったのではなかろうか、一年の総仕上げとして参拝という選択をとったのだと思う。賛否はあろうが、この一年の政権運営は相当したたかな戦略によって進められてきたのは間違いない。

心配なのは政権運営よりも、主張の二極化である。戦中を生き抜いた人、サイレントマジョリティがどう感じるか、既得権者はどう行動するか、そして社会の構造として両極の溝はもう埋まることはないのだろうか。