領土を拡大することが是なのかな?

ふと週末に興味が湧いて満州国のことをいろいろ調べていた。日本史は勉強していないし、世界史で満州のことなんてさわりくらいしか触れなかったので新鮮だった。満州の地域を本拠とする女真族による17世紀の清国の成立からはじまって、太平洋戦争の終結後の姿まで、ひとつながりの歴史のなかでの満州国の存在を捉えるのは楽しい作業だった。

いま日本は中国や韓国から領土問題をけしかけられている。去年の反日デモが最も激化したのは、柳条湖事変の起こった日とされる9月18日であった。これらの事象と満州国の歴史は深い関係にある。

歴史の捉え方についてどうこう言うつもりはない。Web上に転がっている文章を読んでも、満州国は理念である「五族協和の王道楽土」のもとに、東アジアに暮らす民族の融和を図るために日本人が汗を流した、という論調もあれば、日本人は朝鮮人女真族をこき使った、という記述もある。どちらも真実の一面があったのだろうとしか言えないし、教育などの場面においてどちらかに偏った伝え方をするべきではないと思う。領土問題もそうだが、真実を争う以前に、中国や韓国の国内世論で一方の考え方しか許されないのははたから見てもかわいそうだなとしか思えないし、「売国奴」などと罵られながらも、日本国内にはいろんな意見を持った人が共存しているのは、ある意味では社会が成熟しているということなのだなぁと思う。

中韓の領土拡張に関しては、国家としての野心もさることながら、好む好まずに関わらず拡張政策を採らざるを得ないというそれぞれの国内事情もあるのだと思う。戦前の日本も同じような側面はあって、国内で養いきれなくなった国民が、20世紀初頭からブラジルやアメリカに移民として渡るようになっていた流れの延長上に、満州国の成立や開拓団の派遣などがあったのだろう。しかしながら単に移民を送り込むのと、国を作ってその運営を行っていく、というのは難易度の次元が異なり、最終的に日本は満州国の存在が負担となりかつソ連侵攻の標的となってしまったことが、敗戦の一因であったのだと考えられる。

その後日本の領土は大幅に縮小することとなったが、結果的にはそれが功を奏したと言ってもいいのではなかろうかとも思う。コンパクトな国土となり、インフラ整備の負担も少なく、産業を育てることに専念することができたのではないか。領土を失った敗戦国東ドイツと日本が相次いで躍進したのは、それぞれの国の地力だけが理由ではないのだろう。

それを思うと、中韓の拡張政策の終着点がどこになるのか、気になるところではある。