帰省、その3。あまりにも遠く、遠く離れて。

あの日の昼下がり、大阪環状線の高架下にあるミスドでお茶をする。ここのミスドの2階席の窓からは、すぐ上に大阪環状線の高架橋が見える。数分おきにさまざまなカラーの電車が轟音を立てて走っていくのが見える。そして正面には、地元の町内でも一番賑わいのあるスクランブル交差点が見える。信号が変わるごとに、自転車や歩行者がはじけるように横断歩道に出て行く。小さい町内なので、知った顔の人が歩いているのが見える。自転車で交差点に突入するお坊さんの顔は、いつも実家にお経を詠みにくるあの人だろうか。この町では、よそ者が引っ越して来てもすぐに顔が割れてしまう。電車と人を見ながら、おかわり自由のカフェオレを飲んで、地元の友人と他愛もない話をする。ミスドの2階席はさながら個室のようだ。

★★★

ここ数ヶ月のうちに何度か、首相官邸前をはじめとしてあちこちで行われる過激なデモに遭遇した。街宣車シュプレヒコールの声を聞いた。ナショナリズムレイシズムに関するヘイトスピーチを耳にする機会も増えた。彼らをそこまで駆り立てるものは何なのだろうか、そして、彼らの見ているものと、ミスドの2階席から見えた風景、それぞれの距離のあまりの遠さに目眩がしそうになる。

彼らの主張そのものに難癖をつけるわけでもないし、高みの見物で彼らを見下すつもりもない。声をあげることを否定するつもりも毛頭ない。ただ、どうして彼らは声をあげずにはいられなかったのか、過激なパフォーマンスに及ばざるを得なかったのか。そこまでして守りたかったものは目的そのものなのか、日本なのか、自分なのか、思いを馳せずにはいられなかった。

日本人に生まれたことを誇りに思う気持ちは当然あってもいいと思う。しかし、「日本人であること」だけが拠り所になってしまうことはとても哀しいことだと思う。もっと個別具体的な誇れる部分を見つけられなかったのか、言いようのない孤独感に包まれていたのか。

レッテルを貼るわけではないが、「市民団体」という言葉に違和感を感じる。古くからの友人、帰るべき地域、守るべき家族、そのような言葉との相容れなさを感じる。「嫌い嫌いも好きのうち」というけれど、なにか対象物に向かって攻撃をしたがる人は、本当はその対象物に憧れを覚えていたり、羨ましさを感じていたり、対象物を心の奥底で求めているのかもしれない。そうだとするとその感情の出所はどこにあるのだろうか。自分のなかにある無力感やルサンチマンを飼いならすのは本当に難しい。