帰省、その2。

ある日は高野山に行く。高野山には小学生の時に町内会の旅行で行ったきりで、その時のことはほとんど何も覚えていない。橋本から観光電車に乗り換えて極楽橋極楽橋からはケーブルカーで高野山に到達する。もともと涼しい日だったこともあって、高野山の気温は25度に届かない。お盆のまっただなかではあるが、高野山の町は冷気に包まれてひっそりとしている。遥か昔から変わらないであろう町のたたずまいと寺院の並ぶさまを見て、空気の凍り付く真冬にもう一度足を運んでみたくなった。高野山は町のかたちをしているが、富士山の山頂や他の幾多の山の頂きと似たような雰囲気を持っている。国土が山がちな日本で、山岳信仰と仏教が結びついたのはごくごく自然な流れなのではないかと思ったりする。

総本山である金剛峯寺に参詣する。僕はお坊さんの法話を聴くのが好きで、ここでも法話を聴いてみた。金剛峯寺では、法話を聴いてすっきりした気持ちになると同時に、豊臣秀次の自刃の間といった、血みどろの権力闘争の一幕を垣間みることにもなる。豊臣秀吉の養子となり後継者として関白の地位に就くも、待望の実子秀頼が生まれると、秀頼になんとしても後を継がせたい秀吉により、あらぬ謀反の疑いかけられ、果てに金剛峯寺切腹を命じられることとなった。静謐な高野山の地で、秀次は切腹の前に何を思っただろうか。戦国の世を治めて以後、裸の王様のごとく権力をほしいままにした秀吉であったが、秀次を陥れて後継者候補を絞ったことが皮肉にも、秀吉死後の豊臣家の急速な弱体化につながったとも言えなくはないか。

そんな秀吉の墓が、高野山奥の院の山中にある。秀吉だけでなく、名だたる戦国武将をはじめとして、中世から近代に至るありとあらゆる人々の墓が、奥の院までの参道に建ち並んでいる。秀吉のように、生前権力を振り回した人々の大きな石塔だけでなく、名もない信心深い庶民のものであろう小さな石の仏像が、樹木の根元にもたれかかっていたりもする。権力者の魂も、庶民の魂も等しく今はひっそりと眠っている。大企業の慰霊碑も多数建立されている。杉の木と無数の石塔が並んでいるさまはもはや、人間の住む世界ではないように思える。

このような場所にいると、現世が茶番に思えてきたりもする。しかしながら茶番のなかにも、自分の奥底にある精神をキラリと光らせた瞬間が必ずあるはずだ。そんな瞬間は、茶番から抜け出して高所からモノを見ているだけでは決してたどりつくことのないもので、だからこそまた山を下りて現世に戻っていくのだ、と思う。