欲求と付き合う。

この歳になって、いやこの歳になったからこそ、人間はそうやすやすと変われるものでもないし、自分の欲求にしたがってしか生きることのできない生物なのだな、と思う。

欲求には、おカネがほしい、みんなから尊敬されたい、女性に囲まれていたい、○○の分野について真理を追究したいといった、直接自分自身を満たすものから、世界の○○な部分をよりよくしたい、子どもの笑顔を見たい、といった、他者に働きかけることで間接的に自分自身を満たすものまで、さまざまなレベルのものがあるのだと思う。人間の全ての行動は自分の欲求を満たすために行われているものであり、とりわけ自分自身の行動のなかで、他人と違っている部分には、自分自身の欲求の特徴が現われているのだと思う。

人によっては、自分の欲求を抑えている人もいる。自分の欲求を相手に悟らせないようにすることは、交渉ごとにおいては時にアドバンテージになる。しかしながらややもすれば平常時にはなにを考えているか分からない、と周りから思われることもありそうだ。一方で、自分の欲求がむき出しになっている人もいる。自分では自覚がなくとも、周りからみればなにを考えているのか分かりやすい。

さらに、前者の人のなかでも、自分の欲求とそれに伴う行動が周りにどのような影響を与えるかを理解して、意図的に欲求をコントロールできる人は、ハイレベルな交渉術を持っていると言うことができる。好きな人ができて、その人と付き合いたいと思ったときにそれぞれどのような行動をとるだろうか、というケースは良い例題になるだろう。しかしながら、欲求の種類によって、人それぞれ、得手不得手があるのだと思う。

欲求は全て、「満たされていない」ことから生じるものである。自分が無意識にとってしまった行動について考えていくと、満たされていかったことはなにか、というところに行き着くはずだ。満たされていないものに改めて気付いてあげることで、その欲求を真に満たすためにどう行動すればよいか、答えが出ることもあると思う。そこに気付かないか、見て見ぬ振りをしてただ単に行動だけを重ねていくと、事態がどんどん悪化して悪循環のループに入ってしまう、なんてこともあるのだと思う。自分の取った行動は必ず自分にはね返ってくる。自分の欲求とどう付き合って毎日を過ごしていくか、正解はないけれど、唯一不正解と言えるのはそこで考えることを放棄してしまうことだと思う。