為末大の引退に寄せて。

昨日の日本選手権が為末大の引退レースになった。1台目から転倒。しかし為末は意を決したように起き上がって、残りの9台のハードルを飛び越えてゴールを駆け抜けた。無心だったのだろうと、僕は思っている。

僕がまだ大学生だった頃から、彼のブログを読んできた。ここぞという試合へ、自分の調子のピークを合わせていくさまが描かれていて、興味を持った。当時から、自分の400mHの実力は世界のなかでも10番目から20番目くらいだと彼は自分で言っていた。世界選手権で2度も銅メダルを取ったのは、彼のピーキング能力の秀逸さの証明に他ならない。

2006年に出版された『インベストメントハードラー』を読んで、いわゆる彼にぞっこんになった。ものごとに対する彼の考え方と僕の考え方がもともと似ていたのか、彼の考えを無条件に受け入れてしまっていたのかはもはやよく覚えていないが、彼の文章が僕のなかにしっくりと沈み込んで定着した。それから、講演に行って、質問させていただいたり、お話させていただく機会にも恵まれた。考え方のみならず、そのたたずまいも含めて、彼のことを好きになった。

30歳で迎えた北京五輪、一次予選で敗退したことを知った瞬間の為末の表情は忘れられない。

北京五輪を終えて、旅に出て、日本に帰ってきて、彼は現役続行の宣言をした。そこからきのうまでの4年弱の間、彼はこれまで以上に自分の身体と対話して、日々を積み重ねてきた。傍目からも、勝ち目の非常に薄い、苦しい闘いのなかで、それでも、速く走ることをどん欲に追求し続けていたように見えた。長い歳月をかけて、この選手権にピークを持ってくるべく、日々を積み重ねていたのだろう。きっともう一度奇跡が起こせると、根拠のない自信を絶やすことなく、細心の注意を払いながら、淡々と努力を重ねていたのだろう。

ロンドンへのチャレンジが終わったら、スポーツの持つ、世間の空気や世の中の流れを変える力を巻き起こす先べんになりたいと、彼は言っていた。彼が400mHという世界で頂点に立つために重ねた数々の試行錯誤が、僕自身の、目標を達成するための処方箋として応用されたように、きっとこれからも彼は、社会にブレークスルーをもたらしてくれるのだろう。引き続き、彼がなにをしでかすか、期待している。

お疲れ様でした。あなたの競技生活から、素敵な気付きをたくさん得ることができました。ありがとうございました。