僕の根源的欲求について。

幼い頃から変わらない性格として僕は、「もったいない」と思う気持ちが周りの人よりも強いように思う。だからものを買う時には自分がそれだけのお金を出す価値があるか、今あるもので代替できないか考えたり、買わざるを得ない時でも先延ばしにしようとする癖がある(これを世間ではケチと言う。一方で価値がある、と判断した時は意外に思い切りがよかったりもする。ほんとだよ笑)。買ったもののあまり使わず無駄にしてしまうことに嫌悪感を覚える。そもそもなにが無駄でなにが価値があるかという判断基準は人それぞれであるし、もちろん金銭的価値以外にもいろんなものさしがあるのだが、とにかく僕はものやお金や時間が有効活用されていることに満足を覚える性質のようだ。

なので、金融のスキマを埋めるいまの仕事は結構気に入っている。活用されていなかった資産を次の担い手につなぐこと(地方のぼろぼろの不動産が新しい所有者によって新たな息吹を吹き込まれているのを見るのは嬉しい)や、成長企業や、今は一時的にダウンしているものの復活の道すじが描ける企業に資本や資金を注入することで、その命をつなぐ。そのまま放置されていれば市場のなかで朽ち果ててしまっていたかもしれない「もったいない」シチュエーションが回避できることに満足する。ものやお金だけでなくて人が再出発できる、その一助となれることにも意義を覚える。より多くの、より大きなそんな機会をマーケットから見つけ出して結びつけただけ、リターンを手にすることができるのだと思っている。

「もったいない」のが嫌でそれをどうにかしたい、と思うのはもはや僕の根源的欲求である。今後もし別の仕事に就いたり、新たなライフラークを求めるとしても、その欲求を満たすようなことに携わることになるのだろう。そして中身こそ変われど、こういった欲求は誰しも持っているのではないだろうか。そして、この欲求と仕事など日々自分が取り組んでいることとがどれだけマッチングしているか、言い方を変えればハラにおちているかの度合いが、そのパフォーマンスに大きく影響を与えるのだと思う。

最後に補足しておくと、僕は時間が無駄に使われることにも「もったいない」と感じる性格であるにもかかわらず、その割には全体的にのんびりしているように見られる(せっかちな時もたまにある)のは、僕がのんびりした時間、余裕を持つことの価値をかなり高くみているのが原因だ。人間の価値観なんていい加減なものである。