本能を信じる。

もう7年目になると正直節目の感覚もなにもない4月1日。4年目くらいからあまり気持ちも変わってないような。

なんだか、1億総原発評論家みたいな昨今。メディアに煽られる人もいれば、のほほんと過ごしている人もいる。(それにしてもテレビと新聞は全く危険を煽らなくなったな。。)茨城・福島産の野菜を率先して買う人もいれば、忌避する人もいる。花見や娯楽が不謹慎という人もいれば、いや直接被災していない人こそ普段どおり経済をまわして日本を支えるべきという人もいる。ま、放射能の件についてはなにが真実なのか僕にもさっぱりわからないし、別にそれぞれの立場をとっている人に対してどうのこうの言うつもりはないし、どの選択を取る人が人間として素晴らしいなどと論じる必要もない。ま、後から振り返って、あーあの人はああいうことを言っていたなぁ、ってのは覚えておきたいけど。

ただ、最近の周りの人の言動を見ているに、こういう時に自分の考え方や価値観を他の人に押し付けるのはよくないな、とは思う。もちろん自分の主張も知らず知らずのうちににじみ出てしまっているのは否定できないけど、それを他人に強制しないようには気をつけたい。そして、もし周りの人でそのような言動を取る人がいれば、その人がそのような言動を取るにいたる心理を察してあげるべきだと思う。このあたり、僕はけっこう我慢ができない鉄砲玉タイプの性格なので、つい人につっかかってしまうことも少なくないし、他人に「それは強制行為ですよ」と言うこと自体も、自分の考えを押し付けることと同レベルの言動であることは間違いないのだけど。

しかし、日本政府やメディアを信用していない人が多いのには驚き。うちの上司とかも「週刊誌が一番信用がおける」って言っちゃってるし。まぁ政府や主要メディアが情報を隠していたり、嘘を言ってるとは僕は露ほども思わないけど、これだけ疑心暗鬼になってる人が多いってのは、やっぱり伝える側の伝え方がまずいってことなんだろうな。誰の言うことを信じるか、これは個人の自由だし、日本政府の言っていることが信頼できないのであれば、信頼できる場所へ移ればいいのだと思う。別にそれに対して負い目を感じる必要もないし、「逃げた」と言うのはおかしいだろう。最後に危ない、と判断するのは自分の本能。僕は山に登ることでそのことを知った。

そんな感じでエイプリルフールも原発のことをつらつらと書いてしまった。週末は気分を大幅に入れ替えます!桜も咲きはじめるしね。