大阪の空気。

関西出張。きょうは17時には全ての予定を終えて実家に帰る。夕食を食べてもまだ19時前。スコールがざっと降って熱気が半分くらい消えた街に出る。関東よりも30分日没が遅いので、この季節、この時間になっても西の空が薄く蒼い。

駅から出てくるサラリーマンは、50代か60代くらいの見かけの人が多い。既に一杯ひっかけて、爪楊枝を加えながら帰りに本屋で趣味の本でも見繕うかといういでたちだ。素敵なアフター5を過ごしている。

名古屋や他の地方都市も同じか、それ以上にひどいのかもしれないが、生まれ育った大阪の街は僕にとっては特に、今までの人生の余禄を生きているような人が多いように見える。商いをする際も、ターゲットを年金生活者や生活保護受給者向けとすることが多い。


大阪はもはや、上海やシンガポールはおろか、ヤンゴンプノンペンと比べても活気のない街になっているように見える。経済規模は未だそれなりにあるのだろうが、ガツガツした雰囲気は全くと言っていいほどない。

こんな大阪の雰囲気は、人によってはものすごく居心地はいいだろう。流通システムが極度に発達し、なおかつ円高の恩恵も受けて、生活コストはアジアの国々により近づいている。マイペースでぶらぶら生きていくには快適だ。

大阪の街は背伸びをしなくなった。東京にはまだ、さもドラッグを打ちながら自分を盛り上げるような空気が残っているように思う。勢いのある街には、そんな風に背伸びして生きている人たちが、街の空気を作る。

大阪のテレビは東京のメディアよりも掘り下げて、大阪都構想を持ち上げている。このまま大阪都構想が進んでいったとして、統治システムが変わるだけでこの街の空気は変わるのだろうか。

もちろん大阪で必死に働いている人もいるが、いま大阪で暮らす大半の人は、のんびり生きているように見える。好きでのんびりしている人もいれば、働きたくても働き口がなくて、悶々としている人もいる。

のんびりしているように見えていながらも、心の中ではみな、それぞれの道でもうひと花咲かせてみたいと思っているのだろうか。大阪都構想とそれに伴う諸々の改革は、人々にそんなスイッチを入れるきっかけになるのだろうか。

いまさら東京への対抗意識はないだろう。福岡と同じように、大阪はアジアとの結びつきを強めることで、街としての個性を出していくのだろう。そしてその個性は、1人ひとりのやる気スイッチによって彩られるのだろう。