GSらしさ②。

(昨日の続き)実際のところ、ゴールドマンにはうまくやられた経験しかない。うまくリスクを他の主体に寄せながら、リターンの部分は最大限に享受できる形を作ること、特に既存の規制のギリギリのラインをついたり、仕組みのなかの歪みをハックして利益の機会を創出することに長けている。やわな日系の人たちが、そこまでするか、と思うようなことも平気でやってのける。ここまでつらつら書いてきたことは、皮肉でもなんでもなくて褒めているのである。でも、皮肉ではないけれども、そこまでやるスタイルを善しとするか、そうでないか、その判定くらいはこちらにもさせてもらう。たとえ負け犬の遠吠えと聞こえようとも。


醜悪で強欲なものに、耳触りのよい言葉を被せてコーティングする。カジュアルに選民思想を出して弱い立場の人にリスクや痛みを押し付ける。そういう行動を取った自分が、死ぬまでにそのしっぺ返しを喰らわずに逃げ切れるとでも思っていられるのだろうか。いくら表層のカネを稼ぐことが得意でも、そういう人生の輪廻までは見渡せないものなのだな、と僕は生温かい目で見てしまう。


支離滅裂だし、炎上に加担するのは卑怯だと自覚しているけど、言っておく。中の人を批判するつもりはない(中の人もまた大半が搾取されていると言ってもいい)けれども、結局のところ法人のつくり自体が問題なのだろう。