本格的な秋の季節になってきて、魚にも脂がのってきたし、だしの効いたスープがとりわけ美味しく感じられるようになってきた。やっぱり秋は1番好きな季節である。そして半年ぶりに取り出した厚手のボトムがきつい。
★★★
昨日のエントリに関連して、ブログや掲示板で匿名で悪口を書く人のことを考えた。
僕も特定の人に名指しでなにかを言うことこそないものの、○○なやり方は好きになれない、だとか批判してみるようなことはよくあるし、見る人が見ればわかるだろうが匿名でブログを書いていることには変わりない。一応自分では否定的なことを書く場合は直接的な表現ではなく遠回しに書くようにしているし、万が一このブログが誰にバレてもいいとは思いながら書いてはいる。
ブログは喜怒哀楽を吐き出す大切な場所ではあるけれど、怒りの感情を吐き出す時はできるだけ気をつけようと思っている。ブログに限らず、メールでも口頭でも、web上のどこかであっても、他人に批判や攻撃的な言葉を飛ばすと、気持ちよくさっぱりするどころか、逆に自分にもダメージが蓄積していくと思うのだ。それは相手に不快感を与えてしまったことによる後ろめたさ(どんなに極悪非道に見える人でも、知らずしらずにこの感情は生まれ、溜まっていく)だったり、自分が放った言葉が巡りめぐって自分の行動を縛るということだ。それでも誰かになにかぶつけなきゃ我慢できない時もあるだろうが、少なくともそういう言動をとることは自分にとってま諸刃の剣になることを認識しておくべきだと思う。
そう考えていると、怒りを覚えるようなことに直面した時にも、それに対してなにかアクションを起こすような気持ちにはなかなかなれないのだ。代わりに諦観のようなものが浮かび上がってくる。なんでもしょうがないで済ませてしまうのもそれはそれでよくないが、別にそれはそれでいいじゃないかと思うのだ。直接的に怒りをぶつけることは時には必要だとも思うが、安全地帯から匿名で罵詈雑言をぶつけるのは麻薬のようなものであり、短期的には気持ち良いのだろうが、長期的には精神を蝕んでいくものになるのだろう。
さらに、匿名で発信することが、いつまでも安全地帯であるという保証すらなくなった。インターネットの登場により誕生した匿名空間が、インターネットのさらなる進化によって消失したということだ。Web上に限らず、全ての言動は、発信元の個人に紐付けられると考えておいたほうがいい。