刹那。

週末は、桜を見るなどして近場で過ごした。日曜夜は妻が美容院に出かけたので、息子と2人で回転寿司で夕食を摂った。家族3人での外食とはまた少し違う感覚だ。これはこれでささやかな幸せである。

早くも桜は散りはじめている。すぐに散ってしまうからこそ、人々は桜に異様に情熱を捧げて愛でるのだと、僕は思っている。桜が満開になるさまはこの世の栄華のように華やかだが、そのような甘美な時間は長く続かず、すぐに葉桜になり、花びらは地面に落ちてしまうのだ。そんな刹那的な感覚が、人間の世と写し鏡のようで、人々はその刹那を慈しむのだろう。

良き時間は往々にして一瞬で過ぎ去ってしまう。おそらく人間は、幸福に溺れてしまうとどこかで必ず綻びを出してしまうのだろう。そして人間は、自らがそういう性質であることをよくわかっているのだ(それでも失敗してしまうのだが)。

だからこそ、幸福な時間は、先の心配をするなどといった野暮なことはせずに、目の前の幸福だけを身体いっぱいに満喫すればいいのだと思う。