指導のかたち。

世界的なジャズトランペット奏者が、自治体のコンサート中に中学生をビンタしたとして騒動になっている。これを聞いて僕は中高時代の音楽のM先生を思い出した。

みんなで仲良く合唱していればよかった小学校とは違って、中学の音楽の授業は覚悟の必要なものだった。授業がはじまると前半はたっぷりと発声練習に費やす。一糸乱れぬ発声練習にM先生は目を光らせ、不意に特定の生徒をあててソロで声を出させる。声が出ていなければ、みぞおちに握りしめたこぶしを入れて声を出させる。確か、男子も女子も関係なかったはずだ。音楽の授業はいつも、張り詰めた空気のなかで行われていた。

学年が上がるにつれて、先生も優しくなっていく。そして、驚くべきことに、大多数が音楽を好きになるのだ。高校音楽の総仕上げでは第九の合唱をやりきったりして、達成感があった。いまもああいった指導ができているのだろうか、ああいった肌と肌がぶつかる指導が許されない世の中になっているとしたら、それは子どもの側にとっても不幸なことだな、と少し思う。