10月2日、予定日を過ぎて41週に近付こうとしていた妻が入院した。夕方仕事帰りに立ち寄って軽く会話をして帰宅する。家ではソフトバンクvsオリックスの、勝った方が実質的にほぼ優勝という緊張感のあるゲームを眺めながら、23時ごろまで起きていた。既に妻は出産の準備を始めており、明日がその日になるであろうことはわかっていたが、ゆっくり寝て朝になってからだろうとたかをくくっていた。
日付が変わって、3時半ごろに電話が入る。「病院にきて」と、それほど切羽詰まった感じではなかったが、意外と早くきたのかーと思い焦って準備をして自転車で出る。人通りのない夜道を走っているとまた電話。「どこにいるの?早くきて!」と10秒にも満たない通話。うるせーな、向かってるとこやないかと思いながらも、ことは進んでいるのだと思い、逆に焦っていた気持ちが落ち着いた。
病院に着いて陣痛室へ。なるほど妻は陣痛にあえいでいる。声を出しているが、いろんな話や本で聞いたような、のたうち回るような感じではなさそうに見える(当然相当痛いのだろうが)。それでも言われるがままに腰をさすり、水分を与え、陣痛の周期を測りながら過ごしていると、空が白んできた。病院はターミナル駅の近くにあるので、始発電車が走る音も聞こえてくる。
そのうちに軽い出血。看護師さんに診てもらうと順調に子宮口が開いているとのこと。そこからまた陣痛の度合いが一段と高まり、1時間もしないうちに子宮口が全開になったので、6時40分、分娩室に移るということになった。陣痛室に入ってからわずか3時間強。初産でもあるので正午くらいまではかかるもんだろうな、と勝手に思っていたのでこれには焦った。全くどうでもいい要素なのだが僕の心の準備ができていない。
分娩室に入り、僕は分娩室の頭の側へ。もともと採血などが異常に苦手な僕はかねがね、立ち会いしても(倒れたりして)邪魔になるから来るな!と妻からは言われていたのだが、逡巡する暇もなく一緒に分娩室に入った。エアコンのかからない分娩室は少し暑い。うちわで妻を仰ぎながらいつその時が来るのかと内心ではどきどきしていた。妻自身は、分娩室に移ってからの方が陣痛自体は楽になったようだ。
分娩室に入ってからの時間はあっという間に過ぎた。エコーで見ても少しずつ赤ちゃんは下りてきているのだが、ここにきて陣痛が弱まりかけたりで、なかなか出てくるところには至らない。数回いきんだだけで赤ちゃんが出てきた、なんていう話もこれまでに聞いたが、うちの妻は軽く100回以上いきんだのではなかろうか。朝の通勤ラッシュであろう、分娩室の外から電車が走る音がひっきりなしに聞こえてくる。
8時半から促進剤を使いはじめたもののあまり効果はなく、助産師さんからも「ちょっと遠のいちゃったね。。」とネガティヴな発言が出る。しかし不安になっている暇はない、出さねば先はないのだ。僕も一緒になって脚を抱えながら最後のひと山を越えようとする。外来が始まっているのに、たくさんの助産師さんが分娩室に残ってサポートしてくれている。担当医師が現れてなにやら準備をしている。
10時を過ぎた。既に陣痛室よりも分娩室にいる時間のほうが長くなった。医師が軽く麻酔をかけ、会陰切開を行った。内心、あー切っちゃうのかーという思い。そして最後、助産師さん総出で引っ張り出す。右脚を抱えている僕の右腕に助産師さんの胸があたる。妻が目の前で出産するという、こんな非常時でも、男はこんなことにオオッと心跳ねてしまうのだ。どうしようもないが真実だ。
最後の最後、吸引器が出てくる。医師が何度も念入りに吸引の予行演習をする。妻の顔に酸素吸入器もかぶせられる。そして吸引器をあてがってせーので引っ張った瞬間、視界に頭が現れた。その瞬間のことは一生忘れない。視界はすぐにぼやけた。そこから10秒ほどで息子は助産師さんの手に抱き上げられ、妻の目の前に差し出された。吸入器を外した妻が「ありがとう」という声が聴こえた。
赤ちゃんは保育器に運ばれる。すぐに産後の処置をするとのことで、僕も分娩室を出る。助産師さんからは、「(処置の様子を見ないように)壁側を向いて出てくださいね」と言われる。10時22分、3時間半ぶりに分娩室を出る。保育器のなかで身体測定をされる息子の様子を見る。涙は出たけれど、これは感動と安堵感とも違う、言葉にし難い感覚だ。これは感情よりももっと前のカテゴリーに属するなにものかのように思う。
ひととおりの身体測定が終わり、そこからは僕が息子を抱いて待つことに。おくるみに包まれた息子を受け取るとずっしりと重い。これまた言葉にし難い感情(ここは感情のように思う)が湧き上がる。言葉をかけることはない。思ったことがそのまま伝わるような気がした。逆に言えば全ての思索が彼に見透かされているような、そんな感覚がした。30分以上も抱いていたのだが、あっという間に感じた。
妻の処置が終わり、3人が揃う。ようやくという気持ちはいつしか消えて、ここからなのだな、という気持ちが心のなかを埋めていた。