アプローチ。

結果と過程、と似ているようで少し違う話。

★★★

僕の行動原理は少なからず、結果を早く追い求めがちなところにあることに気づいた。なにがしかの結果に手っ取り早くたどり着こうと、途中の過程をすっ飛ばしたり、中身がスカスカでもよしとする気質があるらしい。それがために進め方が拙速になってしまい、結果として失敗してしまうこともある。

それと逆の考え方は、結果として現れるのが遅くなってもいいから、とにかくひとつひとつのステップをちゃんと積み上げていくことにこだわる、というやり方だ。納得のいくものを積み上げていくことで、はた目には遅い歩みに見えても、成功にたどりつく可能性は高いし、その過程で得たことは確実に自分の血肉になっているのだと思う。

僕が前者の考えに傾いているのは、おそらく精神衛生上の傾向が大きいからだ。内容が間違っていたり、充実していなかったりすることについて気を揉むよりも、とりあえずものごとが前に進んでいる、という状況に、精神的な落ち着きを感じる性質なのだ。また、前に進むことでなんらかの形になれば、そこで他者からの評価を仰ぐことができ、それを受けて修正していけば良いと思っているフシもある。それは端的に言えば過程へのこだわりが薄いということだと思う。

一概に前者のやり方がダメで、後者のやり方が秀でているというわけでもない。時間がかかっても100%の完成度が求められる場面も、限られた時間に70%の完成度が求められるケースもある。前者の考え方が染み付いてしまっていて、もはや修正できないならば、できる限りその考え方にあった仕事やパートナーを選んでいくように注意すればいいのだと思う。

しかしながら拙速にものごとを進めてはいけないことにどうしてもぶちあたることもある。そんな時には(いつもいつも心がけられているわけではないけれども)、これは結果が求められていることではないのだ、と思い込むようにして、できるだけ無欲無心で目の前のことに取り組むようにしている。

結局のところ、この無欲無心な姿勢と後者の考え方は似ているものなのだと思う。僕の場合は、意識的にそういう姿勢を作り出さなければ、前者の考え方に流されていきやすいのだ。

前者と後者の切り替えがうまくできたり、後者一辺倒であっても努力や才能によってそのスピードを早められる人が、内容のある結果を残せるのだと思う。だけれども、結果はしょせん結果なのだ。自分に合った、納得のいくやり方を選べば良いのだと思う。