レゴブロック。

ゴールデンウィーク前から出張が多くなっている。今週はまずは長野へ。今の時期はどこに行っても本当に新緑が美しい。普段は休みの日に遊びに行くことが多いので、仕事となるとまた新鮮な気持ちになる。平日の善光寺参道は人も少なくのんびりとした雰囲気に包まれている。地場のスーパーでお土産を買おうとレジのおばちゃんに聞いたところ、おばちゃんはレジを閉めて売り場を案内してくれた。長野らしいおおらかさと優しさが心に沁みる。

★★★

東大五月祭でのレゴ部の展示がTLに流れてきて久しぶりにゾクゾクと背中を刺激が走った。子どもの頃1番遊んだおもちゃと言えばレゴになる。一時的に広げて遊ぶだけでは飽き足らず、実家にあった背の低い(子どもの腰ほどの高さの)戸棚の上、畳1畳分くらいのスペースの上にちょっとした街を作り上げていた。

ちなみにレゴの前はプラレールで遊ぶことが多かったし、小学校卒業と共にレゴから離れてからは鉄道模型をかじった。弟がいるが、家で弟と一緒にそれらで遊ぶということもなく基本的に1人で遊んでいた。1人遊びが好きだったということだろう。その習性は今でもあまり変わっていない。とはいえ、学校で共通の話題になるようなテレビゲームや、友だちとの外遊びも全くやっていないわけではなかったので、ぎりぎり最低限の社交性は身につけられたのだと思う。1人遊びに完全に没頭していたならば、今よりも厳しい人生だったかもしれない。そう考えると、子どもの時に周りの人たちとどう関わるか、どんな遊びをするか、ということが少なからずその後の人格形成に影響しているのだなぁと今さらながらしみじみと思う。1人遊びが好きな僕のことを両親はどう思っていたのだろうか。

レゴには、指示通りにブロックを積み重ねればひとつの建物なり、乗り物が完成するタイプの商品キットがあったが、僕はそういうものはあまり好きではなく、ベーシックなキットを買ってもらい、自分の好きな街を作って行くほうが好きだった。このあたりは決められたルールに従うのがあまり好きではない性格とつながっている。とはいえ、独創的なものを作るほどの創造性はなかった、というのもなんとも自分らしい。いまもって東大レゴ部の作品を見ると、その発想の豊かさに驚く。加えて、レゴブロックをいじっていた割には手先は器用にはならなかったし、ものごとの細部を詰めるのはあまり得意ではない。レゴで遊んでいたことで直接的にその後役に立った、ということもあまりない。その時は楽しかったし、楽しい記憶は今も残っているので、それで十分ではあるのだけれども。