「好き」の種類。

人を「好き」になることには、少なくとも2つの種類に分けられるのではないかと思っている。その人と交わることを目指すべき「好き」と、その人と交わることを目指すべきではない「好き」の2つだ。もしかしたら、もっと細分化することもできるのかもしれない。

1つ目の「好き」は、世間一般でオーソドックスに捉えられてきた「好き」の概念だと思う。相手自身が好きということももちろんあるだろうが、その人と自分が交わることで新たな楽しみが生まれる、1人でできないことを2人でやる、そうした過程や結果を通してお互いの関係が深まり、一緒に過ごすことのメリットが高まることで、増幅されていくプラスの感情を「好き」と呼ぶのだと思う。

2つ目の「好き」は、表向きには1つ目の「好き」と判別がつきにくく、混同されているケースも少なくないのだと思うが、概念としては全く違うのだと思う。前者との最大の違いは、相手がどうと言うよりは、自分の願望や欲望を満たすがための「好き」だということだ。

どちらの好きももちろん尊重されるべきものだと思う。僕もこれまでに何人かの人を好きになったが、1つ目の「好き」も2つ目の「好き」もあった。むしろ、2つ目の「好き」のケースの方が多かった。初恋の「好き」も2つ目の方だったと思う。それで失敗したり、相手に嫌な思いをさせたこともあった。

2つ目の「好き」はひどく相手に負担をかけるものだと思う。僕はあまり人から好意を寄せられたことがないのであまりよく分かってもいないのだが、いろいろな人から好意を寄せられるというのははたから見ても、羨ましいというよりは大変そうだなぁと思う。時に好きになられることは嫌われることよりも心に負担のかかることなのではないだろうか。逆説的ではあるが、相手に負担のかかる「好き」はたいてい2つ目の「好き」でしかないのだろう。他人がそういう「好き」に対して起こしたアクションについてどうこう言う気はないが、僕は自分の「好き」という感情が2つ目のそれに近づいてきたならば、その感情は自分のなかにそっととどめておいて、相手に迷惑がかからないようにしたいと思うようになった。(それでも「好き」という気持ちをコントロールするのは難しくて、止められないこともあるのだろう。それが相手に迷惑を与え、自分を破滅に導くことであっても)

もちろん、世の中には2つ目の「好き」でうまくやってきた関係もあるだろうし、関係のなかで2つ目の「好き」から1つ目の「好き」に転化したり、あるいはその逆もあるのだけど。