好きだから。

地元の友人に、死ぬほどだんじりが好きな奴がいる。とにかくだんじりが好きで、夏から秋にかけては関西の至るところの祭りに顔を出している。

彼のだんじり好きは幼少の頃からのもので、既に小学生の時には、学校の壁を太鼓に見たて、こぶしをバチのようにして叩いていた。それから20数年、相も変わらず毎年のように地元の祭りにも参加している。

だんじり以外のところは正直言ってだらしない。大学を卒業してからいくつか仕事をしているが、半年続いた記憶がない。地元の商店の手伝いをしたり、友人に紹介されたアルバイトをしたりだが、それらも頻度は多くない。本質的に普通に働くことが好きではないのだと思う。

しかしながら自分の好きなことへの情熱はまっすぐだ。ある意味で、妥協することがないとも言える。31歳にもなれば、好きなことはさておき定職に就いて自立しなければ、という考えが生まれてくるのが普通だが、はたから見ている限りでは彼にそんな気配はない。内心悩んでいてそれを外に見せないだけなのかもしれないが、それでもなお彼は自分のスタンスを貫いている。

今まで僕は彼のことを、いい歳して何をやってんだろ、甲斐性のない奴やなぁとしか思っていなかったのだが、最近になってその考えを改めた。彼にはどんなことがあってもブレない好きなことがある。それに匹敵するものが自分にはあるだろうか、と。

彼はだんじりに意味も結果も目標も求めていない。ただ自分が好きだからだんじりを追いかけているだけだ。しかしそれに勝てるものがあるだろうか。どんなに意味や意義があろうが、金銭的な結果や、素晴らしい目標を達成することも、『好きだからやる』ことにはかなわない。それだけ好きなことを見つけただけで、彼は人生のエッセンスを掴んだのだ。

結果なんて出なくともよいのだ、目標なんて設定しなくともよいのだ、誰かと比較する必要もないのだ、自分が好きだということだけで充分なのだ。それだけで既に勝っているのだ。

あわよくば、彼には好きなことの延長線上に生業を手に入れてほしいと思ったりもするが、それすら野暮なのかもしれない。それは必ずしも好きなことに純粋に向き合うベクトルに沿っているとは限らないからである。好きなことに本当にまっすぐに向き合っている限り、後悔するなどということも起こらないだろう。早くも小学生の時に自分の好きなものにたどり着いて、そこから生涯をかけてそれをずっと追いかけ続ける人生ほどに素晴らしいものはあるだろうか。たとえ人生は綺麗ごとだけではどうにもならないとしても。