また会う日まで。

秋の京都へ。紅葉にはまだ早いものの空気が気持ち良い。行き帰りの新幹線から見える空もずいぶん高くなってきた。朝の駅の待合室には早くも暖房が入れられていた。

★★★

長い間公私にわたってお世話になってきた先輩が、関東を離れることになるということで送別会が行われた。測り切れないほどのプラスの効果を僕にもたらしてくれた人だ。いつかはこの日が来ると思ってはいたし、それまでに自分からもなにか恩返しをしなければと思ってもいたにもかかわらず、なにもできずにこの日がきてしまった、という感覚だ。親孝行をしたいときにはもう親がいないというのはこんな気持ちなのだと思う。

生きていれば、いろんな人が自分の目の前を通り過ぎていく。人生に訪れるチャンスの大半は、見えていたとしても見送ってしまったり、そもそも見えずにいるうちに消えてなくなってしまう。そのなかで巡り会えたチャンス、掴み取ったチャンスの積み重ねが、それぞれの人生を創っていく。

今年もいろいろなことがあったけれど、ここにきて前よりも生活や心に余裕が出てきたこともあって、自分自身のひとつひとつの行動や言葉が周りに、そして何よりも自分自身にどのような影響を及ぼすか、見えるようになってきた。

だからこそ、自分が発した言葉のなかで、言いっぱなしになっていることがあまりにも多いことに気持ち悪さを感じるようになった。今までもそんな違和感を感じないこともなかったが、 適当に心の隅に仕舞い込んで見ないようにしていた。もしくは都合のいいように自分で解釈して分かったつもりになっていた。

同じように、文章を時間をかけてじっくり読んだり、深く考えて書くこともなくなっていた。ひとつのことについて、腰を落として向き合うことがなくなっていた。人の気持ちについて想像してみることも同様に少なくなっていた。

ブーメランや因果応報とまで言うつもりはないが、自分が発した言葉や行動は、必ず自分に戻ってくる。いくら逃げようとしても、見て見ぬふりをしようとしても自分につきまとってくる。結局は自分が行ったこととは向き合わざるを得ないし、そのステップを踏まなければ前を向いて進むこともできないのだと思う。過去を引きずっているということは、過去の自分にちゃんと向き合って自分の行いを消化していないということだ。きちんと消化したからこそ、忘れられることもあるのだ。

★★★

あと10日で20代が終わる。残してきた宿題をきちんと終えるまでしばらくの間留守にします。