東日本大震災を振り返る。

早くもテレビは震災を振り返る番組で埋められつつある。記憶を風化させないことは大切だと思うが、そこまで震災一色にしなくとも、皆の心のなかに充分震災は刻まれているのではなかろうか。そして、「絆」という言葉の持つ意味のなんと軽いことか。言葉というのは特定の人たちがこぞって使えば使うほどに、その意味や重さを変えてしまうのだということがよくわかった。

僕が常日頃相手にする顧客というのは、営んでいる事業そのものに構造的な問題を抱えていたり、本業そのものに問題はなくともサイドビジネスや財務面で問題を抱えている人たちである。苦境に面したときにこそその人の本性が分かるとはよく言ったもので、このような仕事をしていることで、いろいろな人の本性の姿を見させてもらい、自分自身で学ぶことも多い。

今回の震災は、東北及び首都圏に住む多くの人が、程度の差こそあれ、苦境に面することとなった。地震津波による直接的な被害を受けたり、流通網のダメージ(と買い占め)や放射能による影響を受け、少なからず穏やかならざる心境になったと思う。使命感に燃えてハイテンションになった人もいれば、デマや陰謀論にずぶずぶとのめりこんだ人もいる。東日本を離れて西日本や海外に生活の拠点を移した人もいる。

どのような行動が立派で、どのような行動が非難されるべきもの、などと言うつもりは毛頭ないし、実際にボランティアなどは極端に言えば自己満足に毛の生えたものでしかないとも思う。放射能を危惧してがれきの受入を拒絶する人を非科学的だと言ってもしょうがない。しかしながら、このような苦境と諸問題が起こったからこそ、自分を取り巻く周りの人が本当はどのような人なのか、僕はよく分かった(何度も繰り返し言うが、それで善悪を判断したり、賞賛したり糾弾するつもりはない)。加えて、自分がどんな人間なのかということも、前よりも少し分かった。日本人のこと、東北の人たちのことが前よりも分かるようになった。

震災の直後、自分自身どういう感情になったのか、周りの人がどういう行動を起こしたのか、自分自身は周りの人とどんなやりとりをしたのか、日本中でどの人がどんなアクションを起こしたのか。これらは全て忘れてはいけないことだと思う。折に触れて思い出すことで、自分のことや、周りの人のことを理解する助けになるだろう。きっとそれらは未来の役に立つ。だからこそ、この節目に振り返ることに意味があるのだと思う。