若さと変化球。

「真っすぐが通用するうちに、次の変化球を覚えておけよ」
このような文章をWeb上で見かけた。もともとは新人時代の工藤公康投手が、先輩の東尾修投手から受けたアドバイスだという。数日前の天声人語で引用されたものが、Web上の人たちによってさらに咀嚼されていた。天声人語ではいわゆるこれまで日本にとっての「真っ直ぐ」であった製造業(輸出産業)に変わるべき次の「変化球」=決め球を探すと共に、国内の空洞化を防ぎ、財政赤字を減らす守備固めも急いで行わなければならない、とまとめてある。

これを受けて、@show_mottoさんのブログhttp://sanjose.main.jp/home/2012/02/05/higashio/
では、自分自身にとっての「真っすぐ」「変化球」とは何か、「真っすぐ」の要素である「若さ」について掘り下げて書かれている。

ひるがえって自分を省みると、そろそろ若手を卒業する年頃に差しかかり、これまで「若さ」を武器に許されてきたことがたくさんあるし、「若さ」に甘えてきたところがあるな、と大いに感じる。「若さ」はそれだけである程度の欠点を隠してくれる。「若さ」(ないしは若さに基づく体力や自由さ)があるから本来は存在している問題点が顕わにならずに放置されていることも少なくない。これは仕事や自己実現に関することのみならず、両親を含めたいわゆる「家」のことにも当てはまる。

「若い」と言えば、僕がいま勤めている会社もかなり「若い」と感じる。創業から10年以上が過ぎて、ベンチャー的な空気はかなり薄れ、社員の平均年齢も上がりつつあるけれども、メンバー1人ひとりの思考回路はかなり「若い」。そもそもその若さに惹かれて転職してきたわけで、これまでそんな環境にも満足してきたのだけど、いつまでも若いままでいられるわけでもないわけで、「真っすぐ」に変わる「変化球」とは何だろうか、という命題にぶちあたりつつあるのではないだろうか。

未来を直視するというのは骨の折れる作業である。見たくないもの、無意識に遠ざけてきたものもあるはずだ。ダルビッシュやまーくんこと田中将大は一級品の真っすぐを持つ投手だが、彼らの真の姿は変化球で勝負できる投手である。彼らや、彼らに続こうとする野球選手の姿にならって、自分にとっての変化球を見つけて磨いていきたい。