強い心。

今年初めての仙台出張、もとい冬の東北に行くのは初めてだ。空気は冷たいが、東京と比べてそれほど寒いというわけでもない。東北新幹線沿いの街にはほとんど雪がついていなかったので、少し拍子抜けした。今月来月とあと何度か東北方面に行く機会があると思うので、できれば穏やかな天候が続いてほしい、という願望はある。

相変わらず仙台の繁華街、国分町はにぎわっているようで、地場のデパートの売れ行きも好調と聞く。まだ本格的に復興予算が執行されているわけでもなく、とりあえずの復旧工事が行われている段階でこれだけプチバブルが起こっているということは、仙台の好景気はあと数年は少なくとも続くということだ。さぞかし地場の建設業者も潤っている、かと思いきや、そうでもないらしい。受注する工事単価は震災前の水準にとどまっている一方で、原材料や人件費(トラック運転手、現場作業員の日当は軒並み4〜5万/日まで跳ね上がっているところも)の負担が高く、工事を請ければうけるだけ苦しい状態だという。バブルなのは企業や経営者ではなく、現場の個人レベルだけの話なのだ。珍しい状況だと思う。

★★★

行き帰りに福島を通ると、なんとも言えない気持ちになる。ふと怒りについて考える。どうしようもなく怒りを覚える場面に出くわした時に、人はなにを思い、どう行動するのだろうか。自分のなかにしまいこんで淡々と日々を重ねることのできる人は強いとは思うが、さりとて抑えきれずに人に当たり散らしてしまう人を責める気にもなれない(しかしながら人を攻撃するということは結局自分を傷つけていることなのだとは思う)。

他人の痛みを想像してみようと試みれば、自然と自意識から距離を置いてみることもできるようになると思う。自分を中心に考えていると、ついつい周りの人の行動にイライラや憤りを感じやすくなってしまう。自分の都合の良いように物事を解釈して、それでわかったつもりになっていたりしがちになる。まだまだ僕もこういうことが多い。

どれだけひどい目に遭ってもなお、自分自身と周りを客観的に、俯瞰するように、穏やかな目で捉えられる自分でいたい。こう文章にしてみると、なんだか心が機械に近いような気がしてくる。機械のように揺るがず、なおかつ細かな感情を捉えられるそれこそが、強い心と呼ばれるものなのだと思う。最近よく「心が折れた」なんて言葉を聞くが、人間の心は簡単に折れるものなどではない。

きょうは震災から11ヶ月である。