将棋とクオリア。

将棋に「味がいい」という言葉がある。「美味しい」という意味ではもちろんなくて、将棋の指し手で、ひとつの手で同時に2つ以上の目的を達成するような場合(例:歩をひとつ前に進めることで飛車先と角道が開ける、銀を前進させて玉の逃げ道を開けるとともに相手の玉への攻め駒になる、など。)に「味がいい手だ」などと使う。なんとも面白い将棋独特の言葉だ。

また、「第一感」という言葉がある。その名の通り、局面を見て一目で思いつく手、最初の瞬間に受ける印象のことを言う(用例:第一感この玉は詰まない、など。)。第一感という言葉は将棋に限らずボードゲーム全般で使われていると思われる。その名の通り瞬間的な判断なので、こうこうだから有利になりそう、という根拠を明確に示すわけではないが、例えばプロ棋士同士など、一定の実力を持つ人どうしで指し手を検討する時に、「第一感」の手はなぜか一致することが多い。局面をぱっと見たときの視覚的な直感が、積み重ねたロジックを凌駕することがままある、というのは人間の脳の面白いところで、この感覚は人間とコンピュータの間に存在する超えられない溝なのではないか、コンピュータがこういった感覚を身につけることはあるのだろうかと興味深く考えている。

将棋の駒はしばしば動物に例えられることが多い。将棋の戦法や玉の囲い方にも「雀刺し」「カニカニ銀」「穴熊」などといった動物と関連した名称が付けられているものがある。対局する時に、自分が満足のいく展開を進められていると、まるで自分の駒がそれぞれ個性を持った動物のように躍動しているかのように感じられることがある。将棋のセンスのある人だと、そのあたりの感じ方が上手い(だからそれぞれの駒を有効に使って指し手を進められるために、結果として強い)のかもしれない。近年子ども向けの「どうぶつしょうぎ」という駒の数や動きが本来の将棋よりもより少ないゲームが発案されて、子ども向けのおもちゃのなかではかなりの売れ行き(もちろん大人にも人気!)だが、駒を動物に例えるところに、将棋というゲームが上手くなる秘訣であり、人間とコンピュータとの間に存在する溝のひとつとなり得るのではないかと思ったりする。

突拍子もない考えかもしれないが、将棋と(脳の)クオリアとの間にはかなり密接な関係があるのではないか、と僕は直感的に考えている。その関係がどんなものなのか、ということを解明しだすと、もはや人間の意識の外にある感覚の扉を開いてしまうことになるのかもしれない。怖いけど、覗いてみたいし、その世界を突き詰めていくことが僕にとって快感を覚えることのような気がする。だから僕は将棋にのめりこんで、将棋の世界を通してその世界を覗いてみようとする。